ウォールストリートジャーナル紙記事:全訳
《沖縄は核難民を招く:核の土地から基地の島へ》
これは、2011年7月15日付のウォールストリートジャーナル記事"Okinawa Beckons to Nuclear Refgees"の和訳です。
この表題にある「核難民」は同記事の「Nuclear
Refugees」を直訳してみたものです。
日本語の感覚ではややどぎつすぎるのかもしれず、「原発事故からの避難者たち」とでもしたほうがよかったのかもしれません。しかし私はあえてこの直訳の言葉を使うことにしました。「核」は核兵器nuclear weaponsの「核」であり、同時に 核発電所
nuclear power stationsの「核」です。
後者を「原子力…」と名づけたのは、連合国the united
nationsを 国際連合the United Nations と翻訳してあたかも世界が変わったかのように見せかけた手法、また本来なら私有化に他ならないprivatizationを民営化と言いくるめて「民(たみ)のものにする」かのように思い込ませる手法と同様なのでしょう。
しかしnuclear power stationsを「原子力発電所」と呼んで、何か異なるような印象を与え日本人をミスリードしてきた言霊支配者たちの仮面は、いま剥がされつつあります。「戦争難民」という言い方が許されるのなら、フクシマ事故の放射能から避難する人々を「核難民」と呼ぶこともまた許されてしかるべきでしょう。
この記事には、主要に二つの重要なポイントが見出せます。一つは、少しでも発電所から遠い場所を求めて、核の土地である福島県から次々と移住してくる人々を、最も厚遇をもって受け入れているのが、紛れもない米軍基地の島、沖縄県なのです。ドキュメンタリー・フィルムを作成中の輿石正監督がいみじくも喝破するように、両者は共に国策の犠牲者です。国策によって苦しめられ続ける沖縄だからこそ、国策によって破滅させられつつある人々に対して最も敏感なのかもしれません。
次に、日本が世界第二の経済大国としてその威容を誇ってきた内容は、地方を犠牲にし地方を切り捨て、権威主義的・中央集権的な偏った効率第一主義を推し進め、地方の中でも最も疲弊した場所に多くの核発電所を作って「核中毒」に追いやってきた無残な姿でした。そして最も辺境である沖縄には、核発電所ではなく、(おそらく核付き)米軍基地を集めました。
しかし本土とは異なり、沖縄の多くの人々は「基地中毒」になることを拒否し続けてきました。太陽と海と空気もあるのでしょうが、沖縄が、そのような日本の中で本能的に不自然さを感じてきた人々を惹きつけているのは、こういった沖縄の人々とその文化なのでしょう。この記事は、ここ10年間で多くの県外からの移住者がこの基地の島に集まって来ていることを紹介しています。
沖縄県が福島からの避難者を厚遇をもって受け入れる情報は、次のサイトに詳しく書かれています。
http://mothership2012.ti-da.net/e3441963.html
●良かった!沖縄県が福島県全域の被災者を受け入れてくれた!
東日本大震災被災者支援 一般社団法人「つなぐ光」
なお、この翻訳は童子丸開による暫定約であり、原文と対照しやすいように、段落ごとの対訳としております。
(2011年7月16日 バルセロナにて)
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http://online.wsj.com/article/SB10001424052702304584404576439021228765788.html
ASIA NEWS / JULY 15, 2011
Okinawa Beckons to Nuclear Refugees
Japanese Fearing Radiation Near Damaged Plant Join
Migration to Islands?With Perks
By MARIKO SANCHANTA
アジアニュース 2011年7月15日
《沖縄は核難民を招く》
壊れた原発付近の放射線を恐れる日本人は島々への移住に加わる―特典を受けて
マリコ・サンチャンタ
東京―沖縄は長い間、日本の他の地域からの着実な移住者の流れを受けている。美しい浜辺、安い生活費、そしてゆったりした生活ペースを求める人々である。そしていま、この陽光あふれる島の群れは新たな移住者を歓迎している。核難民である。
モリヤマ・アカネは事故を起こした福島第一発電所から40マイル(約64km)離れた福島市に住んでいるが、6歳と3歳の子どもを抱え、放射能漏れの恐怖から逃れるために、この日本の南端にある島に8月に移り住む準備を必死に進めている。「私には二人の幼い子どもがいますが、原発が完全に閉じてしまうまでにどれくらい時間がかかるのか誰も知らないのです」と彼女は言う。「あまりにもあいまいで、私は危険を背負いたくありません」。
沖縄県は福島県の居住者に対するキャンペーンを立ち上げた。20km(12マイル)以内という政府が定めた避難地域に住んでいない者でも、このリゾート地に移り住むことを薦めているのである。中央政府と福島県によって大きく支援された計画によれば、署名をして疎開する福島県民なら誰でも、2年間の家賃無料契約、沖縄までの飛行機賃、冷蔵庫や洗濯機やテレビのような器具、モノレールの無料乗車券、特定のスーパーやレストランでの値引きカードを受け取ることができる。
沖縄県の推定によれば、3人家族ならこういったコストは2年間で200万円(2万5千ドル)にもなる。
オオハマ・ヤスシは沖縄県庁で福島からの移住を支援しているが、この計画に対して250を超える問い合わせを受け取っていると語る。これは6月に沖縄県のウエッブサイトで初めて公開されたものだが、およそ61家族がすでにこの受け入れに応募しており、その多くが8月に移住を予定している。彼は県庁がアパートや仕事を探すのを支援するだろうと言う。「この計画の目的は他の県と人々を奪い合うことではありません。私たちはこれらの人々を助け支援したいだけです」と語る。
この国を離れる選択肢を持たない福島県民にとって、沖縄は、破壊を受けた発電所からできる限り遠くに離れている場所であり、また原発を持たない日本で唯一の地域である。
過去10年の間、毎年のように、およそ2万5千人の日本人が、今までと異なるより良い人生の可能性を求めて沖縄に移住してきた。沖縄は珍しいケースである。過去2、30年にわたって、この国の経済の沈滞ムードに歩調を合わせるように、日本の多くの県が人口を減少させているなかでなのだ。それは、若い人たちが東京や大阪のような大都市でより良い職を求め家族を故郷に残して去っていったためである。
秋田や山形といった福島に隣接する他の県が避難への支援を行っている。しかしその計画は、第一に、地震と津波によって住居を失った人々に、短期間、ホテルや旅館を提供するものである。公式の数字によると、震災以来避難した8万人を超える福島県民の中で、約半数が県外の避難所に留まっている。
35歳のモリヤさん(女性)は福島から離れたことを「喜びでも悲しみでもある」と呼んだ。彼女の夫が仕事のために留まらなければならなかったからである。
「私たちがいつまで離れ離れになっているのか、いつになったら彼に会えるのか、まだ分かりません。」このようにモリヤさんは語る。「彼は私の決心を支持してくれ、子どもたちが原発からできる限り遠くにいることを望んでいます」。
オオハマ氏は、移住する家族の多くは母親と子どもだけで、夫(父親)抜きである。日本の夫たちにとっては、仕事のために家族から離れて移動する、いわゆる単身赴任は当たり前だが、これは逆バージョンだ。いまや被ばくするかもしれないという健康上の心配から逃れて、夫たちから離れて生きているのは母子の方である。
65歳の映画監督コシイシ・マサシは、フクシマから沖縄に移住してきた家族のドキュメンタリーを制作中だが、沖縄はアメリカ軍の存在を巡る緊張のために独自の問題を抱えてきた。彼はこの二つの県の歴史的な因果を語る。
「両県はともに国策のために苦しんでいるのです」。コシイシ氏は言う。「フクシマは原子力発電の、そして沖縄は米軍基地問題の苦痛を受けてきました。両県とも、この種の重荷を背負うことがどんなことなのか知っているのです」。
36歳のムラシゲ・ヨシコは、3月11日の地震と津波が襲った後、3月18日に沖縄北部の名護に移り住んだ。彼女は原発から45km離れたいわき市に住んでいたが、何日間も新聞を読めずインターネットに接続することもできなかった。
「私は原発事故から可能な限り遠く離れたかったのです。それが沖縄を選んだ理由です。」と彼女は言う。
息子のソラは7歳である。「ここに着いたときに私は救われました。いわきには水もありませんでした。そしてやっとまた普通に生きることができたのです」。夫は、他の彼女の親族と同様に、いわき市に住んでいる。彼女もそこで生まれ育ったのだ。
しかし多くの者たちにとって、遠く離れた場所に来たことによる一時的な救いは、じきに罪悪感のために曇らされてしまう。「親族を置きっぱなしにして、本当につらく感じました。でもみんな立ち去ることができないのです」。こうムラシゲさんは言う。彼女は移住する以前には沖縄に来たことがなかった。モリヤさんにとって自分の生活を作り直すのは大変な作業だ。「すべてをやり直さなければなりません。決して楽なことではないでしょう」。
【翻訳ここまで】
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