二ユーヨークのともいさんが、世界に向けて発信した、日本全国への震災がれき拡散に反対する署名の要請文です。
地元自治体にこの件に関して要請文提出を予定している方は、参考までに。
ともいさんは、大阪知事によるがれき受け入れ決定に対して、同様の内容で、抗議文を提出する予定で、現在、賛同団体を募集しています。
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関係者各位へ
私達は、 原発震災にはじまる被害、日本政府の怠慢によるさらなる被害を危惧する全国の何千人もの母親たちを支援する事を、ここに声明いたします。政府の怠慢は、津波による破滅的な影響をさらに悪化させ、人々の放射能被曝に繋がると私たちは危惧しています。 福島第一原子力発電所の第1、2、3、4号機からは今もなお、放射能が漏れており、何百万もの人々がガンの発症率を高めるというシナリオは容易に想像でき ます。
声明文の目的:人類に襲いかかるリスクを最小限に押さえるためには、被曝を最小限に押さえること。これをしないのは犯罪です。我々署名者は、福島原発周 辺、影響を受けた地域の放射能に汚染された危険な瓦礫は、汚染地域に残すべきだと強く主張します。未だ収束の見えない原子炉の問題解決に全努力を投入すべ きです。また、福島原発周辺の住民は、3.11の震災前の被曝許容線量の基準に従って、放射能汚染地域から避難させるべきです。 日本政府により引き上げられた 被曝許容線量基準値は、震災前の基準値に戻すべきす。 今日、日本政府は、 福島県産の食品を食べるイベントを 公に開催し愛国心を強調し、食品と瓦礫における放射線量基準値をひき上げることで組織的に放射性物質を日本中に広げています。例えば食品は(暫定基準値の 500 bq/kg以下であれば)499 bq/kgであったとしても何の表示もなしに合法的に流通する事が許されます。同様に、政府は瓦礫における許容基準値を2度にわたり引き上げ、被災地の瓦 礫を日本各地に運び、焼却し、東京湾を始めとする海に埋め立て、又は廃棄する予定です。このような政府のおろかな行為は直ちに止めなければいけません。さもなければ、この度の悲惨で破滅的な事故が、歴史的な国際環境汚染に発展してしまいます。
日本政府の環境省によると、3月の震災により、被災した岩手県、宮城県、福島県の沿岸地域には推定2380万トンの瓦礫があるそうです。この瓦礫が被災地 復興に立ちはだかる深刻な問題の一つです。 大量の瓦礫があちこちに山積みになっている上に 、その瓦礫の多くには放射能が付着しているのです。 東京都は岩手県からの1000トンの瓦礫受け入れを正式に表明しました。これらの瓦礫は、2011年10月下旬から電車で運ばれ、焼却処理の後、東京湾の 埋め立て地に使われます。岩手県は、これらの瓦礫には133 bq/kgの放射性物質が付着していると発表しています。この数値は、3月の震災前の基準では違法にあたりますが、日本政府は震災前の100 bq/kg から、7月には8000 bq/kg、そして10月には10,000 bq/kgと、基準値を引き上げました。東京都は今後、合計50万トンの瓦礫を受け入れると表明しています。
同じ岩手県で、2011年8月12日、薪の表皮から1130 bq/kgの放射能が測定されています。この薪を使って人気の宗教行事を計画していた京都府は、その薪の使用を中止しました。
政府のこの様な対策と行動がどのような結果を生み出すか、正確に予測する事は困難です。しかしながら、日本政府が環境に対して大きなギャンブルをしている と言う事は誰の目にも明らかでしょう。 これは、原発事故現場から地理的にさほど遠くない東京周辺だけの問題ではありません。
東京都知事は、東京都による今回の瓦礫受け入れが、日本各地の地方自 治体による瓦礫受け入れ促進に役立てば、とコメントしています。細野環境大臣は、2011年9月4日の会見で、「 福島の痛みを日本全体で分かち合うことが国としての配慮ではないかと思っている。」と述べ、 福島県外に最終処分施設を設け、福島県の瓦礫や汚泥を焼却処分する意志を改めて表明しています。もし、日本各地の自治体が、東京に続いて瓦礫の受け入れを 始めると、現在、放射の漏れの影響を受けていない地域にまで、土壌や水の汚染を広げる事になります。
ここに、日本政府に呼びかけ、汚染瓦礫の地方への拡散と、焼却廃棄処分を阻止する事に、どうか協力してください。 汚染瓦礫は汚染地域から持ち出さず、 3.11以前の基準値に従い、人々を汚染地域から避難させるべきです。 もし日本政府がこの計画を続行すれば、今後何百年、何千年にも渡り人類に被害を及ぼす歴史的な過ちを犯す事になると 私たち署名者は考えます。住めなくなってしまったのは福島第一原発の周辺地域だけであったと歴史に残すために、他の汚染されていない土地を守るために、今 こそ行動する時なのです。
2011年12月28日水曜日
2011年12月25日日曜日
今日、もう一機の原発が定期検査で止まり、これで、日本の全54機の原発のうち、稼働中は6機のみとなります。5月まで再稼働を許さなければ、5月には日本の全ての原発が止まります。
今日、もう一機の原発が定期検査で止まり、これで、日本の全54機の原発のうち、稼働中は6機のみとなります。5月まで再稼働を許さなければ、5月には日本の全ての原発が止まります。
私たちの連携団体である美浜の会、グリーンアクション、フクロウの会、FoEJapanにより、今年の春に開始された「原発さよなら署名」にご協力お願いします。
来年1月に署名提出交渉予定です。
Our no-nukes partner organisations including Muhama Group, Green Action initiated, Fukurou Group, and FoEJapan initiated a petition "Good Bye Nuclear" project in spring this year.
The petition will be handed over in January 2012. Please circulate widely.
There are in total 54 nuclear reactors in Japan. Today on Christmas day another reactor was stopped for a regular check up, thus only 6 reactors are currently operating. If we managed to stop their restart, all the 54 reactors will be stopped by May 2012. We will appreciate for your support.
★署名用紙PDF (petition in Japanese in PDF file) http://www.jca.apc.org/mihama/fukushima/signature12e.pdf
★オンライン署名 (Online signature in Japanese and other languages)
日本語 http://www.greenaction-japan.org/modules/japanese/index.php?id=29 (in Japanese)
Regards,
Kaori Izumi
Shut Tomari, Japan
PDFファイルの署名は、下記まで郵送してください。
福島老朽原発を考える会 (ふくろうの会)
2011年12月23日金曜日
2011年12月20日火曜日
2011年12月1日木曜日
岡田卓己さんによる「韓国の原子力発電所の現状」です。
福岡の青柳行信さんが発信している「原発とめよう!九電本店前ひろば第224日目報告」から紹介させていただきます。
=====以下転載=====
岡田 卓己(おかだ たかし:啓明文化大学教員)さんから:
<韓国の原子力発電所の現状>
-民家と「共存」する釜山・古里原発を中心に-
韓国の原子力発電所は、現在稼働中22基で総電力消費量の45%を占め、設備利用率は約95%であり、フランスに次ぐ世界第2位の原発密集国である。
韓国の原発の所在地
東海岸(日本海/東海側)では北から南へ、蔚珍(ウルチン:慶尚北道蔚珍
郡)、月城(ウォルソン:慶尚北道慶州市)、古里(コリ:釜山広域市機張郡)
の3カ所、西海岸では、霊光(ヨンガン:全羅南道霊光郡)の1カ所。
現在、稼働中の原発
東海岸16基(蔚珍1~6号機、月城1~4号機、古里1~4号機、新古里1~2号機)西海岸6基(霊光1~6号機)で、全22基中16基が日本海/東海側に集中している。
建設中・試運転中の原発
新月城1号機(2012、試運転中)2号機(2013年、試運転中)、新古里3号機
(2013年、試運転中)4号機(2014年、建設中)の4基。
2021年までに計画されている原発
新蔚珍1~4号機、新古里5~6号基の6基
つまり、2021年には全32基が稼働し、日本海/東海側に蔚珍10基、月城6基、古里10基の26基が集中して稼働することになる(西海岸は霊光6基で変わらず)。そして、世界1の原発密集国になる。
※ 以上、ウィキペディア日本語版
<http://ja.wikipedia.org/wiki/>
「韓国の原子力発電所」を参考にした。
ちなみに、日本の日本海/東海側の原発は、玄海4基、島根2基、もんじゅ1基、高浜4基、大飯4基、美浜3基、敦賀2基、志賀2基、柏崎刈羽7基、泊3基の32基であるので、日本と韓国だけでも、日本海/東海が原発の大密集地域であることが容易に理解できる。
※ ウィキペディア日本語版「日本の原子力発電所」を参考にした。
11月6日、日本から11月13日開催の「さよなら原発 福岡1万人集会」に向け、日本と韓国の脱原発運動での連帯を強めようと、企画の中心者・青柳行信さんら3名が訪韓した。そして7日朝、釜山環境運動連合の皆さんの案内で、古里(コリ)原発へと向かった。古里原発は、人口約341万人の釜山広域市の機張(キチャン)郡にあり、釜山駅からは約40Km、海水浴場で有名な海雲台(ヘウンデ)からは25Kmほどのところにある。さらに、人口約110万人の蔚山(ウルサン)広域市の中心街までも25Kmほどである。そこに現在、古里原発4基、新古里原発2基が稼働している。
古里原発1号機の稼働は1978年4月、韓国で初めて稼働した商業用原発であり、30年の設計寿命が過ぎ、2007年6月に運用期間満了で稼動が中断、2008年1月17日に政府の承認を受け、さらに10年間稼動する計画で再稼働させた。大事故を起こした福島第一原発1号機と同様である。再稼働させた1号機は、今年4月12日にも、電気系統の故障で運転が一時停止した。韓国原子力安全技術院の「原子力発電所事故・故障発生資料」によれば、古里1号機では商業運転を始めてから、昨年までに計127回、年間平均3.84件も事故・故障が発生しており、韓国で最も事故・故障の多い老朽原発である。また4月19日には、古里4号機も感電事故で主電源が切れ非常電源によって稼働させた。このとき、作業員2名が負傷するという事故が起きている。
車で古里に近づくと、古里原発の南の海岸から全貌がよく見える。
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【1】古里原発の全景
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朝9時頃、古里原発のゲート前に到着。守衛がゲートに向かっての写真撮影を禁止する。ゲートのすぐ右横には、「古里追憶碑」が建立されており、石碑の裏には古里村の歴史と原発建設で移転させられた人々のことが記載されている。それによると、148戸・162世帯・1250名が、1969年4月から10月の間に強制移転させられたことが分かる。
さらに、石碑の裏の金網越しには、多くの民家が見えるではないか。これには、本当に驚いた。なぜ、朴正熙政権はわざわざ人の住んでいる漁村に、韓国初の原発を建てたのだろうか。原発用地の住民は退去させ、それ以外の住民はそのまま放置したまま。はたして、原発のすぐ側に住んでいる方々は、不安を感じないのだろうか。多分、補償がなく、引っ越しをしたくてもできないのだろう。ぜひ一度、住民の方々のお話を聞きたいと思った。
すぐにでも、古里原発は停止しなければならない。韓国で最も危険な原発と民家が「共存」している現実。そして、原発の危険性について、多くの韓国人の認識がどれほどなのかも考えさせられ、この現実に鳥肌が立った。そして、フクシマを経験した私たち日本人全体の原発に対する認識はどうなのかとも、深く考えさせられた。
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【2】古里原発ゲート前。古里原発の相次ぐ事故の後、稼働の停止を求める市民たち。ゲートには「韓国水力原子力(株)」。市民の横断幕には「核の危険のない、平和な世の中のための共同連帯 『私たちは皆、核発電所30Km以内に住んでいま
す』」と書かれている。
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【3】ゲート横の「古里追憶碑」と、すぐ裏に見える民家。
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古里原発の隣、新古里原発に車で移動する。1・2号機はすでに稼働中であるが、それは車内から見た。建設中の3・4号機は道路から間近にみえる。写真の右手前が3号機・後ろが4号機だろう。さらに、遠くにはには、地ならしをした土地がある。5・6号機の用地だろうか。
---------
【4】建設中の3・4号機
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今回の、古里原発視察は、本当に驚く事ばかりだった。
第1に、韓国で年間平均事故件数が一番多い、最も危険な原発と民家との「共存」(放射能漏れの大事故が起きたら住民は助からない。日常的にも継続して被曝している可能性は大きい)
第2に、計画を含めると古里・新古里で併せて10基の原発という、一カ所集中(フクシマのように、複数の原発が同時に大事故を起こす可能性が高い)
第3に、古里は釜山の中心街から約40Km、蔚山の中心街までも約25Km
(古里は釜山広域市、数キロ北へ行けば蔚山広域市。福島第一原発なみの事故が起きたら、釜山・蔚山市だけで450万人以上の大避難。はたしてこれは可能なの
だろうか)
本当に鳥肌の立つ現実だが、玄海原発も福岡市から50Km圏内であり設計寿命の過ぎた日本でも一番危険な老朽原発である。日本と韓国の現状は五十歩百歩ではないかとも思った。日本海/東海側の日本の32基の原発、韓国の蔚珍・月城・古里の現在16基、数年後には26基の原発、日本の原発でも韓国の原発でも、どちらかが大事故を起こせば日本海/東海は死の海になるだろう。事実、2007年7月16日の地震による柏崎刈羽原子力発電所事故では、緊急停止後、3・4号機の冷却をする系統が動かず、大事故の直前で食い止めた。
※ ウィキペディア日本語版「柏崎刈羽原子力発電所」を参照。
さらに、韓国にはこんな計画もある。慶尚北道の蔚珍と慶州(月城)の間に「東海岸原子力クラスター」を推進するという計画で、原子力研究所・スマート試験原子炉・原子力技術標準院・原子力産業振興院と原子力病院、原子力マイスター高校・グローバル原子力発電所技能労働力養成教育院などを誘致・新設する内容である。原発輸出の前哨基地として、2028年までに総工費13兆4595億ウォン(約1兆円)をかけるという。
この計画の核心的事業は、使用済核燃料の再処理工場建設である。韓国でも日本と同様、使用済核燃料は飽和状態である。そこで、原発の集中する東海岸に再処理工場を建設するのが最も効率的だとのことだ。使用済核燃料の再処理は、アメリカでも日本でも中断・放棄されたほど危険な技術だ。
このように、脱原発問題はすでに日本・韓国の国内問題ではなく、両国市民の安全に直接関係する、一国だけで解決できる問題ではない。さらに、日本はフクシマ以降もベトナムへの原発輸出をあきらめず、韓国はアラブ首長国連邦への輸出を皮切りに原発輸出を国策の中心として推進している。チェルノブイリ・フクシマでの経験が生かされず、原発事故によって人々を苦しみの中に突き落とし、自然を破壊する原発をアジアや世界の国々に輸出することは直ちに中止しなければならない。日本と韓国の市民は、脱原子力エネルギーの課題でも国際連帯をしなければならない。
そのような動きはすでに始まっている。日本の「原発体制を問うキリスト者ネットワーク」は、日本がアメリカと協力してモンゴルに放射性廃棄物を埋めようとしたことをきっかけに、モンゴル-韓国-日本のネットワーク作りを推進し、10月末から11月初めまでモンゴル、韓国を訪問した。11月11日には、韓国の「脱核エネルギー教授の会」の創立集会で3カ国同時の記者会見・インターネット中継を行った。また、「さよなら原発 福岡1万人集会」を企画し、200日以上九州電力本社前で
座り込みを続けている方たちも、韓国の環境団体との幅広い交流を進めており、11月13日の福岡集会では、「韓日100年平和市民ネットワーク」の李大洙運営委員長は福岡の集会に参加・発言し、日本の多くの新聞で報道された。
最後に、「原子力の平和利用」ということだが、これは幻想であり、原発は軍需産業であることもはっきりしてきた。フクシマ以降、ドイツを初めとする脱核エネルギー政策を取ることを決めた国々に対し、脱原発を頑なに拒否する国々は、核兵器保有国(アメリカ・ロシア・フランス・イギリス・中国・インド・パキスタン・北朝鮮・イスラエル?など)であったり、機会があれば核兵器を保有したい国々であろう。日本の原子力発電所の推進も核兵器開発の野望と関係があったし、今もその野望は日本の右派政治家の口から機会あるごとに発せられている。さらに、なぜ韓国・朴正熙政権は1960年代後半から、古里原子力発電所の建設を民家を追い出してまで強行したのだろうか。私は、朴正熙政権が核兵器開発計画を持っていたことと深い関係があると思っている。
(以上、転載終わり)
=====以下転載=====
岡田 卓己(おかだ たかし:啓明文化大学教員)さんから:
<韓国の原子力発電所の現状>
-民家と「共存」する釜山・古里原発を中心に-
韓国の原子力発電所は、現在稼働中22基で総電力消費量の45%を占め、設備利用率は約95%であり、フランスに次ぐ世界第2位の原発密集国である。
韓国の原発の所在地
東海岸(日本海/東海側)では北から南へ、蔚珍(ウルチン:慶尚北道蔚珍
郡)、月城(ウォルソン:慶尚北道慶州市)、古里(コリ:釜山広域市機張郡)
の3カ所、西海岸では、霊光(ヨンガン:全羅南道霊光郡)の1カ所。
現在、稼働中の原発
東海岸16基(蔚珍1~6号機、月城1~4号機、古里1~4号機、新古里1~2号機)西海岸6基(霊光1~6号機)で、全22基中16基が日本海/東海側に集中している。
建設中・試運転中の原発
新月城1号機(2012、試運転中)2号機(2013年、試運転中)、新古里3号機
(2013年、試運転中)4号機(2014年、建設中)の4基。
2021年までに計画されている原発
新蔚珍1~4号機、新古里5~6号基の6基
つまり、2021年には全32基が稼働し、日本海/東海側に蔚珍10基、月城6基、古里10基の26基が集中して稼働することになる(西海岸は霊光6基で変わらず)。そして、世界1の原発密集国になる。
※ 以上、ウィキペディア日本語版
<http://ja.wikipedia.org/wiki/>
「韓国の原子力発電所」を参考にした。
ちなみに、日本の日本海/東海側の原発は、玄海4基、島根2基、もんじゅ1基、高浜4基、大飯4基、美浜3基、敦賀2基、志賀2基、柏崎刈羽7基、泊3基の32基であるので、日本と韓国だけでも、日本海/東海が原発の大密集地域であることが容易に理解できる。
※ ウィキペディア日本語版「日本の原子力発電所」を参考にした。
11月6日、日本から11月13日開催の「さよなら原発 福岡1万人集会」に向け、日本と韓国の脱原発運動での連帯を強めようと、企画の中心者・青柳行信さんら3名が訪韓した。そして7日朝、釜山環境運動連合の皆さんの案内で、古里(コリ)原発へと向かった。古里原発は、人口約341万人の釜山広域市の機張(キチャン)郡にあり、釜山駅からは約40Km、海水浴場で有名な海雲台(ヘウンデ)からは25Kmほどのところにある。さらに、人口約110万人の蔚山(ウルサン)広域市の中心街までも25Kmほどである。そこに現在、古里原発4基、新古里原発2基が稼働している。
古里原発1号機の稼働は1978年4月、韓国で初めて稼働した商業用原発であり、30年の設計寿命が過ぎ、2007年6月に運用期間満了で稼動が中断、2008年1月17日に政府の承認を受け、さらに10年間稼動する計画で再稼働させた。大事故を起こした福島第一原発1号機と同様である。再稼働させた1号機は、今年4月12日にも、電気系統の故障で運転が一時停止した。韓国原子力安全技術院の「原子力発電所事故・故障発生資料」によれば、古里1号機では商業運転を始めてから、昨年までに計127回、年間平均3.84件も事故・故障が発生しており、韓国で最も事故・故障の多い老朽原発である。また4月19日には、古里4号機も感電事故で主電源が切れ非常電源によって稼働させた。このとき、作業員2名が負傷するという事故が起きている。
車で古里に近づくと、古里原発の南の海岸から全貌がよく見える。
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【1】古里原発の全景
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朝9時頃、古里原発のゲート前に到着。守衛がゲートに向かっての写真撮影を禁止する。ゲートのすぐ右横には、「古里追憶碑」が建立されており、石碑の裏には古里村の歴史と原発建設で移転させられた人々のことが記載されている。それによると、148戸・162世帯・1250名が、1969年4月から10月の間に強制移転させられたことが分かる。
さらに、石碑の裏の金網越しには、多くの民家が見えるではないか。これには、本当に驚いた。なぜ、朴正熙政権はわざわざ人の住んでいる漁村に、韓国初の原発を建てたのだろうか。原発用地の住民は退去させ、それ以外の住民はそのまま放置したまま。はたして、原発のすぐ側に住んでいる方々は、不安を感じないのだろうか。多分、補償がなく、引っ越しをしたくてもできないのだろう。ぜひ一度、住民の方々のお話を聞きたいと思った。
すぐにでも、古里原発は停止しなければならない。韓国で最も危険な原発と民家が「共存」している現実。そして、原発の危険性について、多くの韓国人の認識がどれほどなのかも考えさせられ、この現実に鳥肌が立った。そして、フクシマを経験した私たち日本人全体の原発に対する認識はどうなのかとも、深く考えさせられた。
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【2】古里原発ゲート前。古里原発の相次ぐ事故の後、稼働の停止を求める市民たち。ゲートには「韓国水力原子力(株)」。市民の横断幕には「核の危険のない、平和な世の中のための共同連帯 『私たちは皆、核発電所30Km以内に住んでいま
す』」と書かれている。
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【3】ゲート横の「古里追憶碑」と、すぐ裏に見える民家。
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古里原発の隣、新古里原発に車で移動する。1・2号機はすでに稼働中であるが、それは車内から見た。建設中の3・4号機は道路から間近にみえる。写真の右手前が3号機・後ろが4号機だろう。さらに、遠くにはには、地ならしをした土地がある。5・6号機の用地だろうか。
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【4】建設中の3・4号機
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今回の、古里原発視察は、本当に驚く事ばかりだった。
第1に、韓国で年間平均事故件数が一番多い、最も危険な原発と民家との「共存」(放射能漏れの大事故が起きたら住民は助からない。日常的にも継続して被曝している可能性は大きい)
第2に、計画を含めると古里・新古里で併せて10基の原発という、一カ所集中(フクシマのように、複数の原発が同時に大事故を起こす可能性が高い)
第3に、古里は釜山の中心街から約40Km、蔚山の中心街までも約25Km
(古里は釜山広域市、数キロ北へ行けば蔚山広域市。福島第一原発なみの事故が起きたら、釜山・蔚山市だけで450万人以上の大避難。はたしてこれは可能なの
だろうか)
本当に鳥肌の立つ現実だが、玄海原発も福岡市から50Km圏内であり設計寿命の過ぎた日本でも一番危険な老朽原発である。日本と韓国の現状は五十歩百歩ではないかとも思った。日本海/東海側の日本の32基の原発、韓国の蔚珍・月城・古里の現在16基、数年後には26基の原発、日本の原発でも韓国の原発でも、どちらかが大事故を起こせば日本海/東海は死の海になるだろう。事実、2007年7月16日の地震による柏崎刈羽原子力発電所事故では、緊急停止後、3・4号機の冷却をする系統が動かず、大事故の直前で食い止めた。
※ ウィキペディア日本語版「柏崎刈羽原子力発電所」を参照。
さらに、韓国にはこんな計画もある。慶尚北道の蔚珍と慶州(月城)の間に「東海岸原子力クラスター」を推進するという計画で、原子力研究所・スマート試験原子炉・原子力技術標準院・原子力産業振興院と原子力病院、原子力マイスター高校・グローバル原子力発電所技能労働力養成教育院などを誘致・新設する内容である。原発輸出の前哨基地として、2028年までに総工費13兆4595億ウォン(約1兆円)をかけるという。
この計画の核心的事業は、使用済核燃料の再処理工場建設である。韓国でも日本と同様、使用済核燃料は飽和状態である。そこで、原発の集中する東海岸に再処理工場を建設するのが最も効率的だとのことだ。使用済核燃料の再処理は、アメリカでも日本でも中断・放棄されたほど危険な技術だ。
このように、脱原発問題はすでに日本・韓国の国内問題ではなく、両国市民の安全に直接関係する、一国だけで解決できる問題ではない。さらに、日本はフクシマ以降もベトナムへの原発輸出をあきらめず、韓国はアラブ首長国連邦への輸出を皮切りに原発輸出を国策の中心として推進している。チェルノブイリ・フクシマでの経験が生かされず、原発事故によって人々を苦しみの中に突き落とし、自然を破壊する原発をアジアや世界の国々に輸出することは直ちに中止しなければならない。日本と韓国の市民は、脱原子力エネルギーの課題でも国際連帯をしなければならない。
そのような動きはすでに始まっている。日本の「原発体制を問うキリスト者ネットワーク」は、日本がアメリカと協力してモンゴルに放射性廃棄物を埋めようとしたことをきっかけに、モンゴル-韓国-日本のネットワーク作りを推進し、10月末から11月初めまでモンゴル、韓国を訪問した。11月11日には、韓国の「脱核エネルギー教授の会」の創立集会で3カ国同時の記者会見・インターネット中継を行った。また、「さよなら原発 福岡1万人集会」を企画し、200日以上九州電力本社前で
座り込みを続けている方たちも、韓国の環境団体との幅広い交流を進めており、11月13日の福岡集会では、「韓日100年平和市民ネットワーク」の李大洙運営委員長は福岡の集会に参加・発言し、日本の多くの新聞で報道された。
最後に、「原子力の平和利用」ということだが、これは幻想であり、原発は軍需産業であることもはっきりしてきた。フクシマ以降、ドイツを初めとする脱核エネルギー政策を取ることを決めた国々に対し、脱原発を頑なに拒否する国々は、核兵器保有国(アメリカ・ロシア・フランス・イギリス・中国・インド・パキスタン・北朝鮮・イスラエル?など)であったり、機会があれば核兵器を保有したい国々であろう。日本の原子力発電所の推進も核兵器開発の野望と関係があったし、今もその野望は日本の右派政治家の口から機会あるごとに発せられている。さらに、なぜ韓国・朴正熙政権は1960年代後半から、古里原子力発電所の建設を民家を追い出してまで強行したのだろうか。私は、朴正熙政権が核兵器開発計画を持っていたことと深い関係があると思っている。
(以上、転載終わり)
2011年11月24日木曜日
11.23どうする普天間基地問題シンポジウム札幌 http://law-takasaki.com/topics_date/22.html http://www.facebook.com/profile.php?id=100002645537421&ref=tn_tnmn#!/event.php?eid=305218889506418
11.23どうする普天間基地問題シンポジウム札幌 http://law-takasaki.com/topics_date/22.html http://www.facebook.com/profile.php?id=100002645537421&ref=tn_tnmn#!/event.php?eid=305218889506418
伊波洋一氏
物言わぬ日本政府、権限は米国連邦議会に!
米兵犯罪は日本政府が裁判権を放棄、米国軍法会議は裁かない!
米兵犯罪は日本政府が裁判権を放棄、米国軍法会議は裁かない!
柳澤協二氏
対中国戦略ではアメリカは本当は沖縄基地をオーストラリアに移したい!
それでも執拗に決着を迫るのは単なる政治的ポーズ!
政治的方針は簡単には変えられない!
それでも執拗に決着を迫るのは単なる政治的ポーズ!
政治的方針は簡単には変えられない!
2011年11月22日火曜日
韓国の脱原発団体・[エネルギー正義行動](http://energyjustice.kr / e-mail :
韓国の脱原発団体・[エネルギー正義行動](http://energyjustice.kr/ / e-mail :
eja@energyjustice.kr
)が21日、韓国政府の原発推進政策に抗議して声明を発表しました。韓国政府を死の商人と痛罵しています。日本も同じではないでしょうか。この団体を中心に韓国の環境団体が来年の3・11に韓国で5万人の反原発行動を企画しています。声明文は以下の通りです。原文をその下に載せます。
-福島核事故を機会にしようとする原子力振興総合計画糾弾する。
-第4次原子力振興総合計画確定に対するエネルギー正義行動声明書-
今日(21日)政府はキム・ファンシク国務総理主催で第1次原子力振興委員会を開いて第4次原子力振興総合計画を審議.確定した。
その間原子力振興計画は“福島事故を機会に”、原子力発電所輸出を増進するという内容を入れて多くの批判を受けて来た。福島核事故以後脱核発電に進む各国の流れに従うことはおろか、“この機会に一もうけを”という軽薄な商法を政府の公式計画で明らかにしていることだ。
全世界がすでに目撃したように核発電が安全でないということはすでに確認された。
それにもかかわらず、ずっと原子力発電所を輸出するということは私たち自らが全世界に第2のチェルノブイリ、福島を増やすということに他ならない。米国が日本、福島に原子力発電所を輸出しなかったとすれば、私たちが目撃した惨劇が広がらなかっただろう。
1979年スリーマイル核事故以後、これ以上原子力発電所を作らない米国は全世界に原子力発電所を輸出している。自国内建設が難しくなるとすぐに核産業界は新しい活路を探したのだ。
同じように今回巨大な核事故を体験した日本はやはり自国内脱核政策推進と関係がなくベトナムなど他の国に原子力発電所輸出を推進している。彼らは自国の事故を後にしたまま全世界を歩き回る“死の商人”になっていつ事故が起きるのか分からない原子力発電所をずっと輸出しているのだ。
そして今、私たちがその後について新しい“死の商人”になろうとする。それもIT,造船に後に続く代表輸出産業として核産業を政府が主導的に育成しようとするのだ。
私たちに今必要なことは核産業を育成して輸出することではない。我が国内部では脱核宣言を通じて老朽原子力発電所を閉鎖して新規原子力発電所建設を中断しなければならないだろう。
また、既存の原子力発電所研究開発に集中した研究開発は原子力発電所安全性だけでなく、原子力発電所を閉鎖して高レベル核廃棄物などを処分できる技術に集中しなければならない。この間、拡張中心の核発電政策を推進してきた我が国は原子力発電所閉鎖と核廃棄物処分技術に等閑視してきた。
これは原子力発電所を運営する所ならばどこにも必要な技術にもかかわらずこれに対する関心と支援は常に後ろに追いやられてきたのだ。これらの技術は脱核政策に進むために必須の技術だ。
福島核事故の教訓を正しく知っているならば、私たちに必要なことは原子力発電所振興ではない。
危険な原子力発電所を全世界に販売して歩き回る“死の商人”になることでは到底ない。
しかし今日発表した原子力振興総合計画は私たち自ら福島の教訓と正反対方向でそれも最悪の道に進む決定だ。私たちは今日、原子力振興委員会決定を強力に糾弾する。
今日彼らが下した決定は大韓民国を“歴史の教訓を理解できない国”、あえて“死の商人”になろうとする国にしてしまったのだ。自分たちが下した決定がどれくらい恥ずかしい決定であったかキム・ファンシク国務総理をはじめ原子力振興委員は明確に知らなければならないだろう。
2011.11.21.
エネルギー正義行動
<問合せ エネルギー正義行動 イーホンソク(02-702-4979 / 010-2240-1614)>
에너지정의행동 성명서
(110-876) 서울 종로구 숭인동 76 롯데캐슬천지인 지동 205호 전화)02-702-4979/팩스)02-704-4979
<2011년 11월 21일(월)|총2매|문의:에너지정의행동 이헌석 (02-702-4979/010-2240-1614)>
스스로 죽음의 상인이 되기를 원하는 한국정부.
핵발전소 수출 증진이 아니라,
탈핵선언과 폐로기술개발이 이뤄져야 한다.
- 후쿠시마 핵사고를 기회로 삼고자하는 원자력진흥종합계획 규탄한다. -
제4차 원자력진흥종합계획 확정에 대한 에너지정의행동 성명서 -
오늘(21일) 정부는 김황식 국무총리 주재로 제1차 원자력진흥위원회를 열어, 제4차 원자력진흥종합계획을 심의.확정했다.
그간 원자력진흥계획은 “후쿠시마 사고를 기회로 삼아”, 핵발전소 수출을 증진하겠다는 내용을 담아 많은 비판을 받아왔다.
후쿠시마 핵사고 이후 탈핵발전으로 나아가는 각국의 흐름을 따르기는 커녕, “이 기회에 한 몫 잡아보겠다”는 얄팍한 상술을
정부의 공식계획으로 밝히고 있는 것이다.
전 세계가 이미 목격한 것처럼 핵발전이 안전하지 못하다는 것은 이미 확인되었다.
그럼에도 불구하고 계속 핵발전소를 수출하겠다는 것은 우리 스스로가 전세계에 제2의 체르노빌, 후쿠시마를 늘리겠다는 말의 다름이
아니다. 미국이 일본 후쿠시마에 핵발전소를 수출하지 않았다면, 우리가 목격한 참극이 벌어지지 않았을 것이다. 1979년
드리마일 핵사고 이후 더 이상 핵발전소를 짓지 않는 미국은 전세계에 핵발전소를 수출하고 있다. 자국내 건설이 힘들어지자
핵산업계는 새로운 활로는 찾은 것이다. 마찬가지로 이번에 거대한 핵사고를 겪은 일본 역시 자국 내 탈핵정책 추진과 무관하게
베트남 등 다른 나라에 핵발전소 수출을 추진하고 있다. 그들은 자국의 사고를 뒤로 한 채 전세계를 돌아다니는 “죽음의 상인”이
되어 언제 사고가 일어날지 알 수 없는 핵발전소를 계속 수출하고 있는 것이다.
그리고 이제 우리가 그 뒤를 따라 새로운 “죽음의 상인”이 되려고 한다. 그것도 IT, 조선에 뒤이을 대표 수출산업으로
핵산업을 정부가 주도적으로 육성하려고 하는 것이다. 우리에게 지금 필요한 것은 핵산업을 육성하고 수출하는 것이 아니다.
우리나라 내부에서는 탈핵선언을 통해 노후핵발전소를 폐쇄하고 신규 핵발전소 건설을 중단해야 할 것이다. 또한 기존의 핵발전소
연구개발에 집중되었던 연구개발은 핵발전소 안전성 뿐만 아니라, 핵발전소를 폐쇄하고 고준위 핵폐기물 등을 처분할 수 있는 기술에
집중되어야 한다. 그간 확장 위주의 핵발전정책을 추진해 온 우리나라는 핵발전소 폐쇄와 핵폐기물 처분기술에 등안시 해왔다. 이는
핵발전소를 운영하는 곳이라면 어디나 필요한 기술임에도 불구하고 이에 대한 관심과 지원은 항상 뒤로 밀렸던 것이다. 이들 기술은
탈핵정책으로 나아가는데 필수적인 기술이다.
후쿠시마 핵사고의 교훈을 제대로 알고 있다면, 우리에게 필요한 것은 핵발전소 진흥이 아니다. 위험한 핵발전소를 전세계에
판매하고 돌아다니는 “죽음의 상인”이 되는 것은 더욱 아니다. 그러나 오늘 발표한 원자력진흥종합계획은 우리 스스로 후쿠시마의
교훈과 정반대방향으로 그것도 가장 최악의 길로 나아가는 결정이다. 우리는 오늘 원자력진흥위원회 결정을 강력히 규탄한다. 오늘
그들이 내린 결정은 대한민국을 “역사의 교훈을 이해 못하는 나라”, 굳이 “죽음의 상인”이 되려고 하는 나라로 만들어버린
결정이다. 자신들이 내린 결정이 얼마나 부끄러운 결정이었는지 김황식 국무총리를 비롯 원자력진흥위원들은 분명히 알아야 할
것이다.
2011.11.21.
에너지정의행동
<문의 : 에너지정의행동 이헌석 (02-702-4979 / 010-2240-1614)>
<끝>
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- 에너지정의행동 / 서울 종로구 숭인동 76번지 롯데캐슬천지인 지동 205호 / 전화 : 02-702-4979 / Fax :
02-704-4979 / 홈페이지 : http://energyjustice.kr/ / e-mail :
eja@energyjustice.kr
eja@energyjustice.kr
)が21日、韓国政府の原発推進政策に抗議して声明を発表しました。韓国政府を死の商人と痛罵しています。日本も同じではないでしょうか。この団体を中心に韓国の環境団体が来年の3・11に韓国で5万人の反原発行動を企画しています。声明文は以下の通りです。原文をその下に載せます。
-福島核事故を機会にしようとする原子力振興総合計画糾弾する。
-第4次原子力振興総合計画確定に対するエネルギー正義行動声明書-
今日(21日)政府はキム・ファンシク国務総理主催で第1次原子力振興委員会を開いて第4次原子力振興総合計画を審議.確定した。
その間原子力振興計画は“福島事故を機会に”、原子力発電所輸出を増進するという内容を入れて多くの批判を受けて来た。福島核事故以後脱核発電に進む各国の流れに従うことはおろか、“この機会に一もうけを”という軽薄な商法を政府の公式計画で明らかにしていることだ。
全世界がすでに目撃したように核発電が安全でないということはすでに確認された。
それにもかかわらず、ずっと原子力発電所を輸出するということは私たち自らが全世界に第2のチェルノブイリ、福島を増やすということに他ならない。米国が日本、福島に原子力発電所を輸出しなかったとすれば、私たちが目撃した惨劇が広がらなかっただろう。
1979年スリーマイル核事故以後、これ以上原子力発電所を作らない米国は全世界に原子力発電所を輸出している。自国内建設が難しくなるとすぐに核産業界は新しい活路を探したのだ。
同じように今回巨大な核事故を体験した日本はやはり自国内脱核政策推進と関係がなくベトナムなど他の国に原子力発電所輸出を推進している。彼らは自国の事故を後にしたまま全世界を歩き回る“死の商人”になっていつ事故が起きるのか分からない原子力発電所をずっと輸出しているのだ。
そして今、私たちがその後について新しい“死の商人”になろうとする。それもIT,造船に後に続く代表輸出産業として核産業を政府が主導的に育成しようとするのだ。
私たちに今必要なことは核産業を育成して輸出することではない。我が国内部では脱核宣言を通じて老朽原子力発電所を閉鎖して新規原子力発電所建設を中断しなければならないだろう。
また、既存の原子力発電所研究開発に集中した研究開発は原子力発電所安全性だけでなく、原子力発電所を閉鎖して高レベル核廃棄物などを処分できる技術に集中しなければならない。この間、拡張中心の核発電政策を推進してきた我が国は原子力発電所閉鎖と核廃棄物処分技術に等閑視してきた。
これは原子力発電所を運営する所ならばどこにも必要な技術にもかかわらずこれに対する関心と支援は常に後ろに追いやられてきたのだ。これらの技術は脱核政策に進むために必須の技術だ。
福島核事故の教訓を正しく知っているならば、私たちに必要なことは原子力発電所振興ではない。
危険な原子力発電所を全世界に販売して歩き回る“死の商人”になることでは到底ない。
しかし今日発表した原子力振興総合計画は私たち自ら福島の教訓と正反対方向でそれも最悪の道に進む決定だ。私たちは今日、原子力振興委員会決定を強力に糾弾する。
今日彼らが下した決定は大韓民国を“歴史の教訓を理解できない国”、あえて“死の商人”になろうとする国にしてしまったのだ。自分たちが下した決定がどれくらい恥ずかしい決定であったかキム・ファンシク国務総理をはじめ原子力振興委員は明確に知らなければならないだろう。
2011.11.21.
エネルギー正義行動
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에너지정의행동 성명서
(110-876) 서울 종로구 숭인동 76 롯데캐슬천지인 지동 205호 전화)02-702-4979/팩스)02-704-4979
<2011년 11월 21일(월)|총2매|문의:에너지정의행동 이헌석 (02-702-4979/010-2240-1614)>
스스로 죽음의 상인이 되기를 원하는 한국정부.
핵발전소 수출 증진이 아니라,
탈핵선언과 폐로기술개발이 이뤄져야 한다.
- 후쿠시마 핵사고를 기회로 삼고자하는 원자력진흥종합계획 규탄한다. -
제4차 원자력진흥종합계획 확정에 대한 에너지정의행동 성명서 -
오늘(21일) 정부는 김황식 국무총리 주재로 제1차 원자력진흥위원회를 열어, 제4차 원자력진흥종합계획을 심의.확정했다.
그간 원자력진흥계획은 “후쿠시마 사고를 기회로 삼아”, 핵발전소 수출을 증진하겠다는 내용을 담아 많은 비판을 받아왔다.
후쿠시마 핵사고 이후 탈핵발전으로 나아가는 각국의 흐름을 따르기는 커녕, “이 기회에 한 몫 잡아보겠다”는 얄팍한 상술을
정부의 공식계획으로 밝히고 있는 것이다.
전 세계가 이미 목격한 것처럼 핵발전이 안전하지 못하다는 것은 이미 확인되었다.
그럼에도 불구하고 계속 핵발전소를 수출하겠다는 것은 우리 스스로가 전세계에 제2의 체르노빌, 후쿠시마를 늘리겠다는 말의 다름이
아니다. 미국이 일본 후쿠시마에 핵발전소를 수출하지 않았다면, 우리가 목격한 참극이 벌어지지 않았을 것이다. 1979년
드리마일 핵사고 이후 더 이상 핵발전소를 짓지 않는 미국은 전세계에 핵발전소를 수출하고 있다. 자국내 건설이 힘들어지자
핵산업계는 새로운 활로는 찾은 것이다. 마찬가지로 이번에 거대한 핵사고를 겪은 일본 역시 자국 내 탈핵정책 추진과 무관하게
베트남 등 다른 나라에 핵발전소 수출을 추진하고 있다. 그들은 자국의 사고를 뒤로 한 채 전세계를 돌아다니는 “죽음의 상인”이
되어 언제 사고가 일어날지 알 수 없는 핵발전소를 계속 수출하고 있는 것이다.
그리고 이제 우리가 그 뒤를 따라 새로운 “죽음의 상인”이 되려고 한다. 그것도 IT, 조선에 뒤이을 대표 수출산업으로
핵산업을 정부가 주도적으로 육성하려고 하는 것이다. 우리에게 지금 필요한 것은 핵산업을 육성하고 수출하는 것이 아니다.
우리나라 내부에서는 탈핵선언을 통해 노후핵발전소를 폐쇄하고 신규 핵발전소 건설을 중단해야 할 것이다. 또한 기존의 핵발전소
연구개발에 집중되었던 연구개발은 핵발전소 안전성 뿐만 아니라, 핵발전소를 폐쇄하고 고준위 핵폐기물 등을 처분할 수 있는 기술에
집중되어야 한다. 그간 확장 위주의 핵발전정책을 추진해 온 우리나라는 핵발전소 폐쇄와 핵폐기물 처분기술에 등안시 해왔다. 이는
핵발전소를 운영하는 곳이라면 어디나 필요한 기술임에도 불구하고 이에 대한 관심과 지원은 항상 뒤로 밀렸던 것이다. 이들 기술은
탈핵정책으로 나아가는데 필수적인 기술이다.
후쿠시마 핵사고의 교훈을 제대로 알고 있다면, 우리에게 필요한 것은 핵발전소 진흥이 아니다. 위험한 핵발전소를 전세계에
판매하고 돌아다니는 “죽음의 상인”이 되는 것은 더욱 아니다. 그러나 오늘 발표한 원자력진흥종합계획은 우리 스스로 후쿠시마의
교훈과 정반대방향으로 그것도 가장 최악의 길로 나아가는 결정이다. 우리는 오늘 원자력진흥위원회 결정을 강력히 규탄한다. 오늘
그들이 내린 결정은 대한민국을 “역사의 교훈을 이해 못하는 나라”, 굳이 “죽음의 상인”이 되려고 하는 나라로 만들어버린
결정이다. 자신들이 내린 결정이 얼마나 부끄러운 결정이었는지 김황식 국무총리를 비롯 원자력진흥위원들은 분명히 알아야 할
것이다.
2011.11.21.
에너지정의행동
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2011年11月21日月曜日
シリーズ:515スペイン大衆反乱 15M(キンセ・デ・エメ) 第8話(最終回):「旅人に道はない。歩いて道が作られる。」
シリーズ:515スペイン大衆反乱 15M(キンセ・デ・エメ) 第8話(最終回):「旅人に道はない。歩いて道が作られる。」
http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spanish_5-15_movements-08.html
**************************
シリーズ:515スペイン大衆反乱 15-M(キンセ・デ・エメ)
【第1話: バンケーロ、バンケーロ、バンケーロ】
http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spanish_5-15_movements-01.html
【第2話: プエルタ・デル・ソルへ!】
http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spanish_5-15_movements-02.html
【第3話: 広場を取り戻せ!】
http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spanish_5-15_movements-03.html
【第4話: 暴力反対!】
http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spanish_5-15_movements-04.html
【第5話: 世界に広がる「スペイン革命」】
http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spanish_5-15_movements-05.html
【第6話: 限界、分裂、そして広がり】
http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spanish_5-15_movements-06.html
『第7話:5月15日から10月15日への「長征」』
http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spanish_5-15_movements-07.html
『第8話(最終回):旅人に道はない。歩いて道が作られる。』
http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spanish_5-15_movements-08.html
http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spanish_5-15_movements-08.html
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シリーズ:515スペイン大衆反乱 15-M(キンセ・デ・エメ)
【第1話: バンケーロ、バンケーロ、バンケーロ】
http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spanish_5-15_movements-01.html
【第2話: プエルタ・デル・ソルへ!】
http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spanish_5-15_movements-02.html
【第3話: 広場を取り戻せ!】
http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spanish_5-15_movements-03.html
【第4話: 暴力反対!】
http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spanish_5-15_movements-04.html
【第5話: 世界に広がる「スペイン革命」】
http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spanish_5-15_movements-05.html
【第6話: 限界、分裂、そして広がり】
http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spanish_5-15_movements-06.html
『第7話:5月15日から10月15日への「長征」』
http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spanish_5-15_movements-07.html
『第8話(最終回):旅人に道はない。歩いて道が作られる。』
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2011年11月20日日曜日
シリーズ:515スペイン大衆反乱 15M(キンセ・デ・エメ) 第7話:5月15日から10月15日への「長征」
http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spanish_5-15_movements-07.html
シリーズ:515スペイン大衆反乱 15M(キンセ・デ・エメ) 第7話:5月15日から10月15日への「長征」
このシリーズは写真やビデオを多く用いています。もし画像リンクで写真が表示されないようなら、ご面倒ですが、上記のリンク先でお読みください。
*********************************
シリーズ: 515スペイン大衆反乱
15-M(キンセ・デ・エメ):第7話
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-barcelona-04.jpg
【キャプション:カタルーニャ語の横断幕『市場の独裁主義に反対! 新たな世界が不可欠だ!』
2011年10月15日 バルセロナにて(Nara Ikumi撮影)】
【第7話:5月15日から10月15日への「長征」】
前回(第6話)で申し上げたように、6月19日にはスペイン全土の都市を巨大なデモンストレーションが覆った。それは、金融市場の数字を「経済」と呼び、カネ縛りにすることで政治を動かし、政治を動かして世界の国々とそこに住む人々の生活や社会を破壊しながら利益を独占していくネオリベラリズムの実態を、幅広く人々に明らかにしようとするものだった。いま世界を襲っている困難は「経済危機」などと呼べるものではない。それは詐欺であり泥棒であり、破壊であり略奪である。
あれこれと面倒な経済理論を掲げるまでもあるまい。「小盗は拘(とら)われ大盗は諸侯となる」という荘子の言葉があるが、この2千年以上、人類は根本のところで進歩も発展もしていない。ネオリベラルとは、要は大盗人(おおぬすっと)どもによる最も能率の良い詐欺・破壊・略奪のシステムの稼動に過ぎない。また今の選挙制度は「大盗人が見せるどっちの顔がちっとはマシか」を選択するものに他ならない。
真実は最も単純な形で存在する。単純すぎるから逆に見えなくなる。「それを言っちゃあ身も蓋もない」ということだろう。大衆の反乱は、単純に苦痛と困難を身に受けている者たちがその単純な事実と真相を最も単純な形で表にするものである。あれこれと複雑怪奇に解釈する余地は無い。同時にこの15Mの運動は、あらゆる暴力に反対しあくまで自らの体を張った平和的な行動で、その真実を明らかにして社会と世界の変革の必要を訴えていくものである。その運きに特別の「指導部」というようなものは無い。現在の世界に住むあらゆる人々を巻き込んでいる以上、誰もが指導部でありうる。
その「インディグナドス(怒れる人々)」の行動は6月以降、スペインの各地からマドリッドに向けて歩いて行進し、15Mの原点であるプエルタ・デル・ソル広場に結集するという前代未聞の形を取ることになった。バルセロナからは約200名が6月25日に出発して、途中でリェイダ、サラゴサなどの都市を通って新たな参加者を加え、500人を超える人数で7月21日にマドリッドに到着した。600kmを超える行程を、1日に平均25km歩いたことになる。
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/7-madrid-01.jpg
【キャプション:バルセロナから600km以上を歩いてマドリッドまでやってきた「インディグナドス」。
『人々の怒りの行進に加われ』の横断幕を掲げる(エル・パイス紙)】
マドリッドはおよそ正方形の形をしたイベリア半島のちょうど中央部にある。最も周辺部からの距離は各方位で似たような距離になる。カタルーニャからだけではなく、ガリシア、アンダルシア、バレンシア、アストゥリアス、バスクなど、スペインの各地から、続々と行進の人々がマドリッドに到着してきた。中には500km以上を歩いてきた70歳を超える老夫婦もいる。
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/7-madrid-03.jpg
【キャプション:マドリッドのプラド通を行進する、全土から集まった人々。
「これは危機じゃない。その体制なのだ」の横断幕(エル・ムンド紙)】
プエルタ・デル・ソル広場は、6月13日以降も一部のアカンパダ(泊り込み)が続いて警察の排除と再占拠が繰り返されていたのだが、この7月20日から数日間は再び15Mの熱気に包まれた。
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/7-madrid-06.jpg
【キャプション:プエルタ・デル・ソルに戻ってきた15Mの熱気(エル・ムンド紙)】
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/7-madrid-05.jpg
【キャプション:公園などにテント村を作って泊り込むスペイン各地からやってきた人々(エル・パイス紙)】
そしてそこでまた実に奇想天外な決定がなされた。「インディグナドス」の一部、50名ほどが、EUとユーロの首都であるベルギーのブリュッセルまで、パリを経由して自分の足で歩いて行くというのである。そうしながら途中の各地で今の世界の真相と変革の必要性を訴え、また他の欧州諸国から来る人たちと出会うことになる。
その多くは7月26日にマドリッドから、そして一部がバルセロナから出発した。彼らは、フランスやイタリアなどの同志たちとパリで合流してブリュッセルへと行脚する。その目的は、7月24日に採択されたユーロプラス協定への抗議である。あれやこれやと美辞麗句に包まれてはいるが、この協定は各国の主権をないがしろにした、IMFや巨大金融機関による泥棒経済の徹底化である、というのが彼らの主張だ。
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/7-go_to_Bruselas.jpg
【キャプション:7月26日、マドリッドを出発するブリュッセルへの人民行進。横断幕には
『ゆっくり行こう。道は遠いのだから。』(エル・パイス紙)】
ここで話は2ヶ月ほど飛ぶことになる。その間にマドリッドはローマ教皇ベネディクト16世を迎えて、世界中から100万人のカトリック信徒の若者が集まる「世界青年の日」が開かれたために、スペイン中が大騒動ぎになっていた。これはこれでいろいろと興味深い話が山盛りなのだが、残念ながら割愛する。
『第5話:世界に広がる「スペイン革命」』でも説明したとおり、9月17日に米国で「ウォール街占拠」の運動が開始されたが、それに合わせるようにマドリッドでも中央証券取引所の前で抗議行動が行われた。その2日後の9月19日、7週間をかけて1200km以上を歩き続けパリに入城したスペインの「インディグナドス」たちに、フランス警察の手荒い歓迎が待っていた。大勢のフランス人支援者たちと一緒にサンジェルマン通を行進していたところに警官隊がなだれ込み、スペイン人全員を含む117人が逮捕され数名の負傷者を出した。理由は「無届デモ」だったが、彼らは普通に歩道を歩いていたのである。明らかに、彼らの行動に対するフランス政府の恫喝に他ならない。この様子は次のYouTubeビデオで確認できる。
http://www.youtube.com/watch?v=y7JDFR7HZR4
逮捕者たちは全員が1日か2日で釈放されたが、スペインではマドリッドのフランス大使館とバルセロナの領事館の前でこの弾圧に対する抗議集会が開かれた。「行脚隊」は本来ならば10月8日にブリュッセルに到着するように、フランスやイタリアなど多くの国から来た人々と共に21日にパリを出発する予定だった。しかし急遽それを変更して、ノートルダムの広場でフランス警察の弾圧への抗議集会を行おうとしたが、これは多数の機動隊の装甲車を繰り出した警察によって阻止された。欧州ネオコンの代表格であるサルコジにとって、ユーロプラス協定への反対はよほど気に食わぬものらしい。
仲間を増やした「インディグナドス」はパリからブリュッセルまでの道を歩き続けた。そして予定通りに10月8日にブリュッセルに到着した。約50名のスペイン人たちは、疲れきった体と途中での激しい暴力にもめげず、およそ2ヵ月半をかけて1千数百kmを、単純に自らの2本の足で歩き通したのだ。その間、フランス各地に変革の種をまき、マスコミを動かしてその行動が欧州各地に伝えられた。中国紅軍の長征には及ばないかもしれないが、これは「21世紀の長征」として歴史に刻まれるべきであろう。
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1008-Bruselas.jpg
【キャプション:それはマドリッドとバルセロナから1千数百kmを歩きとおした歴史的な「長征」だった。
終点ブリュッセルのエリザベス公園で各国の同士と集う。(エル・ムンド紙)】
彼らはブリュッセルのエリザベス公園で、地元のベルギーはもとよりオランダやドイツからやって来た大勢の人々と落ち合うことができた。しかしここでもまたベルギー警察の襲撃が待ち構えていた。夕闇に包まれた7時過ぎ、ブリュッセルのエリザベス広場で27人のスペイン人を含むベルギー人、フランス人、イタリア人など48名が逮捕され、そこでの泊り込みは不可能となった。その多くが次の日に釈放されたのだが、「長征戦士」たちはベルギーの支援者たちと共にブリュッセルで過ごし、その週の土曜日、10月15日の世界的な抗議活動、「都市占拠」の運動に備えることとなった。
10月15日という日付は、もちろん15M(5月15日)に始まったプエルタ・デル・ソル広場アカンパダ(泊り込み)にちなんだものだ。インターネットを通して欧米各国の間で飛び交う無数の対話と意見交換の中で、この「15日」という日付が次第にシンボリックな意味を帯びていき、いつの間にか「15日の週末に世界で一斉に『チェンジ』を求めて立ち上がろう」という話にまとまっていったという。それは、日本や韓国、フィリピン、香港、インドネシアなどのアジア各国を含む80を超える国々の都市でデモや集会が繰り広げられた。次のスペインの無料配布新聞
20minutosのギャラリーから、各国で作られたこの日のためのポスターをご覧いただきたい。 http://www.20minutos.es/galeria/7908
ここには17種類のポスターの写真が収められているが、ポスターの右側にカーソルを持っていくと「>」マークが出るので、次々とクリックしていってもらいたい。あるいはポスター写真の下側に番号が書かれているのでそれをクリックすれば全てを見ることができる。7番目に東京のポスターが現れる。
画像アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-poster.jpg
【キャプション:10月15日のポスターの一つ(20minutos紙ギャラリーより)】
10月15日当日のもようは、ここではスペイン国内の写真だけをご紹介するが、次のエル・ムンド紙で世界中で行われた運動の写真を見ることができる。
http://www.elmundo.es/elmundo/2011/10/15/espana/1318669970.html
この記事の最初にある写真の下に一列に並ぶ正方形のマークを次々とクリックしていくか、「< >」をクリックして写真を進めていけば、全ての写真を見ることができる。スペイン語が分からなくても、場所の名前くらいは見当が付くだろう。東京、ソウル、香港、フィリピンでの集会の写真もある。
ここに見られる写真を含めて、10月15日に行われたスペイン各都市でのデモの様子をお目にかけたい。
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-madrid-01.jpg
【キャプション:マドリッドのアルカラー通からプエルタ・デル・ソルに向かう巨大なデモ(エル・ムンド紙)】
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-madrid-02.jpg
【キャプション:10月15日、1万人近い群集に埋め尽くされたプエルタ・デル・ソル広場(同上)】
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-madrid-03.jpg
【キャプション:15Mの魂が5ヵ月後によみがえるプエルタ・デル・ソル(同上)】
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-valencia.jpg
【キャプション:10月15日、巨大な人間の川と化したバレンシア市の目抜き通り(エル・ムンド紙)】
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-sevilla.jpg
【キャプション:アンダルシア州セビーリャ市でも(エル・ムンド紙)】
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-vigo.jpg
【キャプション:これはガリシア州ビゴ市の大通り(エル・ムンド紙)】
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-palma.jpg
【キャプション:そして夕闇迫るマジョルカ島パルマ市(エル・ムンド紙)】
バルセロナでの参加者は、主催者(Democracia Real, Ya!)発表で35万人、警察発表で6万人となっているが、12万人前後というところが最も近い数字だろう。第6話でご紹介した6月19日のデモよりもひと回り大規模で、予算削減と人員整理が進む大学・教育関係、医療関係の労働者・専門家・学生、そして子どもを抱える若い夫婦や、健康に不安を感じる老人たちと中年夫婦の大幅な参加増が目立っていた。
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-barcelona-01.jpg
【キャプション:カタルーニャ広場を出発してグラシア通りを進むバルセロナの大デモ隊
「公共医療システムを!人々は生きているのだ!」(エル・ムンド紙)】
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-barcelona-02.jpg
【キャプション:思い思いの工夫で作ったプラカード。「もし人が世界を変えることに賛同しないなら、世界が人を
変えてしまう(左)」、「もし新聞が我々を載せないなら、歴史の本が我々を載せるだろう(右)」(同上)】
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-barcelona-03.jpg
【キャプション:夕闇迫るアラゴー通をいっぱいに埋めるデモと、それを眺める老人たち(エル・ペリオディコ紙)】
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-barcelona-05.jpg
【キャプション:バルセロナ証券取引所には紙つぶての山とステッカーのプレゼント(Nara
Ikumi撮影)】
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-barcelona-06.jpg
【キャプション:終点の凱旋門広場付近を歩く子どもづれの母親たち。教育コストの大幅カットには誰でも
怒りの声を挙げざるを得ない。子供にとっても他人事ではないのだ。(Nara Ikumi撮影)】
サンバと器楽バンドのリズムに乗って、子供連れ、犬を連れた散歩スタイル、杖をつく老人たち、小学生や中学生の集団までがぞろぞろと歩く、一見すると行楽と見間違えそうなデモ行進で市民の「まつり」といった様相を帯びる。それは5月15日の「まつりごと」で始まり、ひとつの「まつり」として盛り上がった。そしてそれがどんな拍子に再び「まつりごと」になるか、全く予測がつかない。人々にとって政治(まつりごと)は常に日常生活に隣りあっている。日本のように政治の話が「生臭い」として日常生活から敬遠される社会の方が、むしろ異常なのだ。
この10月15日が終わった直後、バルセロナの一角で一部の「インディグナドス」が、入居者が無いままで何年もほったらかしになっているアパートを占拠し、そこに銀行ローンが払えず家を追い出された老夫婦を招きいれた。このアパートは、家主が老朽化した建物を修理したり建て直したりする手間とカネをケチって単純に放っておいただけなのだが、近所の人たちにとっても不安と苦情の種だった。この突然の占拠が逆に近所の人たちの支援を受けたことは特筆すべきだろう。もちろんそれは違法行為であり、家主は告訴し裁判所はすぐに警告を出したが、いまだに追い出しの強制執行は行われていない。マドリッドでも同様に、老朽化して使用されなくなりそのまま放置されているホテルの建物が占拠され、行き場の無い人々を住まわせる運動が起こった。
そしてこれらのことが全てのTVニュースと新聞報道で全国の人々に伝えられた。どのマスコミも特別に非難めいた調子で報道してはいない。「法律違反であるかないか」よりも、「使われておらず持ち主に使う気も修理する気も無いままで放置されている建物なら、住む場所を失った人がそこに住む方が筋が通っている」というのが大方の世論である。バブル景気のとんでもない銀行ローンを背負わされた状態で失業し、挙句に家を追い出されようとしている人が何千人もいる。その方がよほど筋が通らない。スペイン人はそう考える。そして15M以降、人々はもう黙っていない。
15M(キンセ・デ・エメ)がスペイン国内と欧州各地に種をまき、世界に広まった変革への願望と意思が、すぐに花開くことは無いだろう。現在社会の泥棒システムを動かす力はあまりにも巨大であまりにも暴力的である。さらに、人々の視野を狂わし思考を捻じ曲げる大規模情報媒体(マスコミ、マスメディア)の問題はもっと大きい。大部分の人々の意識に根本的な変化が訪れるのは、もしそのようなことがあるとしても、何十年か何百年か先のことかもしれない。それは、世界の公正と平和と正義を目指す遠い行脚、人類の「長征」なのだろう。その一つの出発点として《2011年5月15日》という日付と《プエルタ・デル・ソル》の名は永久に歴史に刻まれるべきである。ブリュッセル「長征」に向かう横断幕に次のように書かれてあった。
『ゆっくり行こう。道は遠いのだから。』
(2011年11月17日 バルセロナにて 童子丸開)
シリーズ:515スペイン大衆反乱 15M(キンセ・デ・エメ) 第7話:5月15日から10月15日への「長征」
このシリーズは写真やビデオを多く用いています。もし画像リンクで写真が表示されないようなら、ご面倒ですが、上記のリンク先でお読みください。
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シリーズ: 515スペイン大衆反乱
15-M(キンセ・デ・エメ):第7話
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-barcelona-04.jpg
【キャプション:カタルーニャ語の横断幕『市場の独裁主義に反対! 新たな世界が不可欠だ!』
2011年10月15日 バルセロナにて(Nara Ikumi撮影)】
【第7話:5月15日から10月15日への「長征」】
前回(第6話)で申し上げたように、6月19日にはスペイン全土の都市を巨大なデモンストレーションが覆った。それは、金融市場の数字を「経済」と呼び、カネ縛りにすることで政治を動かし、政治を動かして世界の国々とそこに住む人々の生活や社会を破壊しながら利益を独占していくネオリベラリズムの実態を、幅広く人々に明らかにしようとするものだった。いま世界を襲っている困難は「経済危機」などと呼べるものではない。それは詐欺であり泥棒であり、破壊であり略奪である。
あれこれと面倒な経済理論を掲げるまでもあるまい。「小盗は拘(とら)われ大盗は諸侯となる」という荘子の言葉があるが、この2千年以上、人類は根本のところで進歩も発展もしていない。ネオリベラルとは、要は大盗人(おおぬすっと)どもによる最も能率の良い詐欺・破壊・略奪のシステムの稼動に過ぎない。また今の選挙制度は「大盗人が見せるどっちの顔がちっとはマシか」を選択するものに他ならない。
真実は最も単純な形で存在する。単純すぎるから逆に見えなくなる。「それを言っちゃあ身も蓋もない」ということだろう。大衆の反乱は、単純に苦痛と困難を身に受けている者たちがその単純な事実と真相を最も単純な形で表にするものである。あれこれと複雑怪奇に解釈する余地は無い。同時にこの15Mの運動は、あらゆる暴力に反対しあくまで自らの体を張った平和的な行動で、その真実を明らかにして社会と世界の変革の必要を訴えていくものである。その運きに特別の「指導部」というようなものは無い。現在の世界に住むあらゆる人々を巻き込んでいる以上、誰もが指導部でありうる。
その「インディグナドス(怒れる人々)」の行動は6月以降、スペインの各地からマドリッドに向けて歩いて行進し、15Mの原点であるプエルタ・デル・ソル広場に結集するという前代未聞の形を取ることになった。バルセロナからは約200名が6月25日に出発して、途中でリェイダ、サラゴサなどの都市を通って新たな参加者を加え、500人を超える人数で7月21日にマドリッドに到着した。600kmを超える行程を、1日に平均25km歩いたことになる。
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/7-madrid-01.jpg
【キャプション:バルセロナから600km以上を歩いてマドリッドまでやってきた「インディグナドス」。
『人々の怒りの行進に加われ』の横断幕を掲げる(エル・パイス紙)】
マドリッドはおよそ正方形の形をしたイベリア半島のちょうど中央部にある。最も周辺部からの距離は各方位で似たような距離になる。カタルーニャからだけではなく、ガリシア、アンダルシア、バレンシア、アストゥリアス、バスクなど、スペインの各地から、続々と行進の人々がマドリッドに到着してきた。中には500km以上を歩いてきた70歳を超える老夫婦もいる。
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/7-madrid-03.jpg
【キャプション:マドリッドのプラド通を行進する、全土から集まった人々。
「これは危機じゃない。その体制なのだ」の横断幕(エル・ムンド紙)】
プエルタ・デル・ソル広場は、6月13日以降も一部のアカンパダ(泊り込み)が続いて警察の排除と再占拠が繰り返されていたのだが、この7月20日から数日間は再び15Mの熱気に包まれた。
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/7-madrid-06.jpg
【キャプション:プエルタ・デル・ソルに戻ってきた15Mの熱気(エル・ムンド紙)】
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/7-madrid-05.jpg
【キャプション:公園などにテント村を作って泊り込むスペイン各地からやってきた人々(エル・パイス紙)】
そしてそこでまた実に奇想天外な決定がなされた。「インディグナドス」の一部、50名ほどが、EUとユーロの首都であるベルギーのブリュッセルまで、パリを経由して自分の足で歩いて行くというのである。そうしながら途中の各地で今の世界の真相と変革の必要性を訴え、また他の欧州諸国から来る人たちと出会うことになる。
その多くは7月26日にマドリッドから、そして一部がバルセロナから出発した。彼らは、フランスやイタリアなどの同志たちとパリで合流してブリュッセルへと行脚する。その目的は、7月24日に採択されたユーロプラス協定への抗議である。あれやこれやと美辞麗句に包まれてはいるが、この協定は各国の主権をないがしろにした、IMFや巨大金融機関による泥棒経済の徹底化である、というのが彼らの主張だ。
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/7-go_to_Bruselas.jpg
【キャプション:7月26日、マドリッドを出発するブリュッセルへの人民行進。横断幕には
『ゆっくり行こう。道は遠いのだから。』(エル・パイス紙)】
ここで話は2ヶ月ほど飛ぶことになる。その間にマドリッドはローマ教皇ベネディクト16世を迎えて、世界中から100万人のカトリック信徒の若者が集まる「世界青年の日」が開かれたために、スペイン中が大騒動ぎになっていた。これはこれでいろいろと興味深い話が山盛りなのだが、残念ながら割愛する。
『第5話:世界に広がる「スペイン革命」』でも説明したとおり、9月17日に米国で「ウォール街占拠」の運動が開始されたが、それに合わせるようにマドリッドでも中央証券取引所の前で抗議行動が行われた。その2日後の9月19日、7週間をかけて1200km以上を歩き続けパリに入城したスペインの「インディグナドス」たちに、フランス警察の手荒い歓迎が待っていた。大勢のフランス人支援者たちと一緒にサンジェルマン通を行進していたところに警官隊がなだれ込み、スペイン人全員を含む117人が逮捕され数名の負傷者を出した。理由は「無届デモ」だったが、彼らは普通に歩道を歩いていたのである。明らかに、彼らの行動に対するフランス政府の恫喝に他ならない。この様子は次のYouTubeビデオで確認できる。
http://www.youtube.com/watch?v=y7JDFR7HZR4
逮捕者たちは全員が1日か2日で釈放されたが、スペインではマドリッドのフランス大使館とバルセロナの領事館の前でこの弾圧に対する抗議集会が開かれた。「行脚隊」は本来ならば10月8日にブリュッセルに到着するように、フランスやイタリアなど多くの国から来た人々と共に21日にパリを出発する予定だった。しかし急遽それを変更して、ノートルダムの広場でフランス警察の弾圧への抗議集会を行おうとしたが、これは多数の機動隊の装甲車を繰り出した警察によって阻止された。欧州ネオコンの代表格であるサルコジにとって、ユーロプラス協定への反対はよほど気に食わぬものらしい。
仲間を増やした「インディグナドス」はパリからブリュッセルまでの道を歩き続けた。そして予定通りに10月8日にブリュッセルに到着した。約50名のスペイン人たちは、疲れきった体と途中での激しい暴力にもめげず、およそ2ヵ月半をかけて1千数百kmを、単純に自らの2本の足で歩き通したのだ。その間、フランス各地に変革の種をまき、マスコミを動かしてその行動が欧州各地に伝えられた。中国紅軍の長征には及ばないかもしれないが、これは「21世紀の長征」として歴史に刻まれるべきであろう。
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1008-Bruselas.jpg
【キャプション:それはマドリッドとバルセロナから1千数百kmを歩きとおした歴史的な「長征」だった。
終点ブリュッセルのエリザベス公園で各国の同士と集う。(エル・ムンド紙)】
彼らはブリュッセルのエリザベス公園で、地元のベルギーはもとよりオランダやドイツからやって来た大勢の人々と落ち合うことができた。しかしここでもまたベルギー警察の襲撃が待ち構えていた。夕闇に包まれた7時過ぎ、ブリュッセルのエリザベス広場で27人のスペイン人を含むベルギー人、フランス人、イタリア人など48名が逮捕され、そこでの泊り込みは不可能となった。その多くが次の日に釈放されたのだが、「長征戦士」たちはベルギーの支援者たちと共にブリュッセルで過ごし、その週の土曜日、10月15日の世界的な抗議活動、「都市占拠」の運動に備えることとなった。
10月15日という日付は、もちろん15M(5月15日)に始まったプエルタ・デル・ソル広場アカンパダ(泊り込み)にちなんだものだ。インターネットを通して欧米各国の間で飛び交う無数の対話と意見交換の中で、この「15日」という日付が次第にシンボリックな意味を帯びていき、いつの間にか「15日の週末に世界で一斉に『チェンジ』を求めて立ち上がろう」という話にまとまっていったという。それは、日本や韓国、フィリピン、香港、インドネシアなどのアジア各国を含む80を超える国々の都市でデモや集会が繰り広げられた。次のスペインの無料配布新聞
20minutosのギャラリーから、各国で作られたこの日のためのポスターをご覧いただきたい。 http://www.20minutos.es/galeria/7908
ここには17種類のポスターの写真が収められているが、ポスターの右側にカーソルを持っていくと「>」マークが出るので、次々とクリックしていってもらいたい。あるいはポスター写真の下側に番号が書かれているのでそれをクリックすれば全てを見ることができる。7番目に東京のポスターが現れる。
画像アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-poster.jpg
【キャプション:10月15日のポスターの一つ(20minutos紙ギャラリーより)】
10月15日当日のもようは、ここではスペイン国内の写真だけをご紹介するが、次のエル・ムンド紙で世界中で行われた運動の写真を見ることができる。
http://www.elmundo.es/elmundo/2011/10/15/espana/1318669970.html
この記事の最初にある写真の下に一列に並ぶ正方形のマークを次々とクリックしていくか、「< >」をクリックして写真を進めていけば、全ての写真を見ることができる。スペイン語が分からなくても、場所の名前くらいは見当が付くだろう。東京、ソウル、香港、フィリピンでの集会の写真もある。
ここに見られる写真を含めて、10月15日に行われたスペイン各都市でのデモの様子をお目にかけたい。
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-madrid-01.jpg
【キャプション:マドリッドのアルカラー通からプエルタ・デル・ソルに向かう巨大なデモ(エル・ムンド紙)】
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-madrid-02.jpg
【キャプション:10月15日、1万人近い群集に埋め尽くされたプエルタ・デル・ソル広場(同上)】
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-madrid-03.jpg
【キャプション:15Mの魂が5ヵ月後によみがえるプエルタ・デル・ソル(同上)】
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-valencia.jpg
【キャプション:10月15日、巨大な人間の川と化したバレンシア市の目抜き通り(エル・ムンド紙)】
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-sevilla.jpg
【キャプション:アンダルシア州セビーリャ市でも(エル・ムンド紙)】
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-vigo.jpg
【キャプション:これはガリシア州ビゴ市の大通り(エル・ムンド紙)】
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-palma.jpg
【キャプション:そして夕闇迫るマジョルカ島パルマ市(エル・ムンド紙)】
バルセロナでの参加者は、主催者(Democracia Real, Ya!)発表で35万人、警察発表で6万人となっているが、12万人前後というところが最も近い数字だろう。第6話でご紹介した6月19日のデモよりもひと回り大規模で、予算削減と人員整理が進む大学・教育関係、医療関係の労働者・専門家・学生、そして子どもを抱える若い夫婦や、健康に不安を感じる老人たちと中年夫婦の大幅な参加増が目立っていた。
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-barcelona-01.jpg
【キャプション:カタルーニャ広場を出発してグラシア通りを進むバルセロナの大デモ隊
「公共医療システムを!人々は生きているのだ!」(エル・ムンド紙)】
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-barcelona-02.jpg
【キャプション:思い思いの工夫で作ったプラカード。「もし人が世界を変えることに賛同しないなら、世界が人を
変えてしまう(左)」、「もし新聞が我々を載せないなら、歴史の本が我々を載せるだろう(右)」(同上)】
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-barcelona-03.jpg
【キャプション:夕闇迫るアラゴー通をいっぱいに埋めるデモと、それを眺める老人たち(エル・ペリオディコ紙)】
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-barcelona-05.jpg
【キャプション:バルセロナ証券取引所には紙つぶての山とステッカーのプレゼント(Nara
Ikumi撮影)】
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-barcelona-06.jpg
【キャプション:終点の凱旋門広場付近を歩く子どもづれの母親たち。教育コストの大幅カットには誰でも
怒りの声を挙げざるを得ない。子供にとっても他人事ではないのだ。(Nara Ikumi撮影)】
サンバと器楽バンドのリズムに乗って、子供連れ、犬を連れた散歩スタイル、杖をつく老人たち、小学生や中学生の集団までがぞろぞろと歩く、一見すると行楽と見間違えそうなデモ行進で市民の「まつり」といった様相を帯びる。それは5月15日の「まつりごと」で始まり、ひとつの「まつり」として盛り上がった。そしてそれがどんな拍子に再び「まつりごと」になるか、全く予測がつかない。人々にとって政治(まつりごと)は常に日常生活に隣りあっている。日本のように政治の話が「生臭い」として日常生活から敬遠される社会の方が、むしろ異常なのだ。
この10月15日が終わった直後、バルセロナの一角で一部の「インディグナドス」が、入居者が無いままで何年もほったらかしになっているアパートを占拠し、そこに銀行ローンが払えず家を追い出された老夫婦を招きいれた。このアパートは、家主が老朽化した建物を修理したり建て直したりする手間とカネをケチって単純に放っておいただけなのだが、近所の人たちにとっても不安と苦情の種だった。この突然の占拠が逆に近所の人たちの支援を受けたことは特筆すべきだろう。もちろんそれは違法行為であり、家主は告訴し裁判所はすぐに警告を出したが、いまだに追い出しの強制執行は行われていない。マドリッドでも同様に、老朽化して使用されなくなりそのまま放置されているホテルの建物が占拠され、行き場の無い人々を住まわせる運動が起こった。
そしてこれらのことが全てのTVニュースと新聞報道で全国の人々に伝えられた。どのマスコミも特別に非難めいた調子で報道してはいない。「法律違反であるかないか」よりも、「使われておらず持ち主に使う気も修理する気も無いままで放置されている建物なら、住む場所を失った人がそこに住む方が筋が通っている」というのが大方の世論である。バブル景気のとんでもない銀行ローンを背負わされた状態で失業し、挙句に家を追い出されようとしている人が何千人もいる。その方がよほど筋が通らない。スペイン人はそう考える。そして15M以降、人々はもう黙っていない。
15M(キンセ・デ・エメ)がスペイン国内と欧州各地に種をまき、世界に広まった変革への願望と意思が、すぐに花開くことは無いだろう。現在社会の泥棒システムを動かす力はあまりにも巨大であまりにも暴力的である。さらに、人々の視野を狂わし思考を捻じ曲げる大規模情報媒体(マスコミ、マスメディア)の問題はもっと大きい。大部分の人々の意識に根本的な変化が訪れるのは、もしそのようなことがあるとしても、何十年か何百年か先のことかもしれない。それは、世界の公正と平和と正義を目指す遠い行脚、人類の「長征」なのだろう。その一つの出発点として《2011年5月15日》という日付と《プエルタ・デル・ソル》の名は永久に歴史に刻まれるべきである。ブリュッセル「長征」に向かう横断幕に次のように書かれてあった。
『ゆっくり行こう。道は遠いのだから。』
(2011年11月17日 バルセロナにて 童子丸開)
Cape Town Session: Russell Tribunal on Palestine
Cape Town Session: Russell Tribunal on Palestine
パレスチナにかんするラッセル法廷:ケープタウン・セッション
2011年11月7日
●出典(Al HaqおよびPalestine Chronicle)
http://www.alhaq.org/
http://palestinechronicle.com/view_article_details.php?id=17240
●デズモンド・ツツ大司教の開会挨拶ビデオ:ラッセル法廷:ケープタウン・セッション
http://www.russelltribunalonpalestine.com/en/1399/south-africa-session-preparations
パレスチナにかんすルラッセル法廷(RT0P)は、世論を教育し政策決定者に対し圧力をかけるため、市民社会(NGO、慈善団体、労働組合、信仰に基づく諸組織)の要求に応えて創設された国際市民に基礎をおく良心の法廷である。占領地パレスチナにおけるイスラエルの(分離)壁建設にかんする国際司法裁判所(ICJ)の2004年7月9日の勧告の履行の失敗、2004年7月20日国連総会によって採用されたICJの見解を承認する決議ES-10/15の実行の失敗、および2008年12月から2009年1月のガザの出来事などにかんがみて、パレスチナ民衆の権利を援助する市民のイニシアティブを支え、また促進するために様々な国に委員会が創設された。
パレスチナにかんするルラッセル法廷(RT0P)は、卓越した学者であり哲学者のバートランド・ラッセルによって創設された「ベトナム国際民衆法廷」(1966~1967)、および「レリョ・バッソ民衆の自由と人権のための国際基金」に組織されたラテン・アメリカにかんする第二次ラッセル法廷(1974~1976)によって継承された同様の厳格な規則を採用し、また同じ精神に満ちている。この法廷に法的地位はない。人民裁判所として運営される。
イスラエル政府は、法廷に先立ちその申し立てを提示するよう招待されていたが、この権利を行使することを選択せずに当法廷の対応に無回答であった。
下記の陪審員の聴聞と審議によれば、2011年11月5日~6日のケープタウンにおけるパレスチナにかんするラッセル法廷の第三セッションの評決は、以下のように要約される。
Ⅰ、アパルトヘイト
法廷は、イスラエルは国際法のもとで明確されたアパルトヘイト(人種隔離政策)に等しい支配体制を制度化しパレスチナ人民を服従させている、と評決した。この差別的な体制は、それらの場所によって異なる区分のパレスチナ人に応じて変化する強度および形式ごとに現れている。占領地パレスチナでは、植民地軍政下で生きているパレスチナ人はとりわけ悪質なアパルトヘイト(人種差別)形態の支配に従属している。
イスラエルのパレスチナ人市民は選挙権をもっているものの、イスラエルの法律によって定義されたようなユダヤ民族の一員ではない。したがって、ユダヤ的国民の特典から締め出されており、全員一律に認められた人権の領域が系統的な差別のもとにおかれている。こうした違いに関係なく、イスラエルの支配は、パレスチナ人民が居住しているどこでも、結局、集団的には単一の統一されたアパルトヘイト体制に等しい、と法廷は結論を下した。
イスラエル国家は、国際法に含まれているアパルトヘイトの禁止を法的に遵守しなければならない。これは、人道に対する罪と見做されていることに加えアパルトヘイトの常習行為は普遍的に禁止されている。法廷では、アパルトヘイトの法的な定義に照らしあわせ、その司法制度のもとにおいてイスラエルはパレスチナの民衆を支配していると見做した。
アパルトヘイトは、それ自身独特の特徴を持つ南アフリカにおけるアパルトヘイトの経験にもとづき、国際法で禁止されている。しかしながら、アパルトヘイトの法的な定義は以下の三つの核心的要素が存在する世界中のいたるところで、またどんな状況によっても適用される。①二つの別個の人種グループが識別可能であること。②「非人間的な行為」が下位グループに対して犯されていること。そして、③このような行為が、他方を支配する一方のグループによる制度化された支配体制という文脈で組織的に犯されていること。
人種グループ
「人種グループ」の存在は、アパルトヘイトの問題の基本である。法廷で聴かれた専門家の証言に基づいて、陪審員は国際法が国民の起源や民族(エスニシティ)の要素を含む「人種」という用語に幅広い意味を与えると結論をくだす。したがって、「人種グループ」の定義は生物学的な問題というよりむしろ社会学の問題である。
イスラエル・ユダヤ人のアイデンティティとパレスチナ人のアイデンティティにかんする認知(自らの認知と第三者からの認知を含む)は、イスラエル・ユダヤ人とアラブ・パレスチナ人は、国際法の趣旨からすると別個の人種グループとして容易に定義されうると例証されている。受理した証言から、二つの別個の識別可能なグループが現実的には存在しており、「人種グループ」にかんする法的定義が、イスラエル政府当局がその司法権力でパレスチナ人を支配しているいっさいの状況に当てはまることが陪審員にとっては明白であった。
アパルトヘイトの非人間的な行為
このような体制状況で犯される個々の非人間的な行為は、国際法においてはアパルトヘイト(人種差別政策)の犯罪と定義されている。陪審員は、イスラエル政府当局によってパレスチナ民衆に対して犯されてきた「非人間的な行為」に相当する常習行為について多岐にわたる証言を聴いた。これらには次のものが含まれている。:
―「殺害を目的とする」正規の政策という形態をとった軍事作戦および襲撃を通じ広範囲におよぶパレスチナ人の生活の剥奪、ならびにデモンストレーションに対する致死力の行使。
―保護責任なしの行政拘留および恣意的な逮捕などの政策を通じた広範囲におよぶ自由の剥奪という状況下におけるパレスチナ人に対する拷問と残酷な扱い。このような政策は、治安上の事項として適当に正当化される範囲をしばしば越えており、グループとしてのパレスチナ人に対する支配形態と同然であると陪審員は評決を下している。
―パレスチナ人の開発を排除し、パレスチナ人グループを政治的、経済的、社会的かつ文化的な生活への参与を妨げる組織的な人権侵害。追放されたパレスチナ難民も、所有権および市民権の剥奪を定義する法律と同様、現在論議中の彼らの故郷に帰還する権利の否認という点に関しても、アパルトヘイト(人種差別政策)の犠牲者。とくに占領地パレスチナにおいては強制的な人口移動の政策は、依然広範囲に遂行されている。
―移動、居住、表現および結社の自由の諸権利を含むパレスチナ人の市民権および政治的な権利が厳しく抑圧されている。パレスチナ人の社会・経済的権利もまた、教育、健康、居住の領域におけるイスラエルの差別的な政策によって悪影響を及ぼされている。
1948年以来、イスラエル政府はパレスチナ人の土地の横領および植民地化といった計画的な政策を遂行してきた。イスラエルは、多くの法と常習行為を通じてイスラエル・ユダヤ人とパレスチナ人住民を分割し、また資源へのアクセス権および公共設備、経済基盤といったさまざまな質と水準を利用して両者に異なった現実空間を割り当ててきた。最終的に、二つのグループを大規模に隔離することによって、大規模な領地の断片化、そして保留地および飛び地の分離が行なわれた。法廷では、このような政策が「分離」という意味のヘブライ語hafradaとして、イスラエルでは公式な表現で使われているという趣旨の証言を聴いた。
系統的に制度化された体制
上記に上げられた非人間的な行為は、分離された実例あるいはランダムに見出されるものではない。それらは、系統的と呼べるほど補完的で統合されておりかつ十分広い範囲に及んでいる。またこれらは制度化されていると呼べるほど、公的制度および公共政策、法律という観点において十分な影響をもたらしている。
イスラエルの法体系においては、市民権およびユダヤ人国籍にかんする法を通じて非ユダヤ人よりも優先してユダヤ人に対して特権的地位が与えられ、後者は、居住権、土地所有権、都市計画、公共設備へのアクセス、および社会的、経済的、文化的権利を含む市民生活の大部分の領域において特権的グループをつくり上げた。(提出された法案および関連立法のリストを追加に加えたので参照。)法廷においては、イスラエル・ユダヤ人に排他的な数多くの実質的な特典を授与し慣習化している、ほぼ国家と同様の地位を維持するユダヤ民族諸機関(ユダヤ機関、世界シオニスト機構、およびユダヤ国民基金)とイスラエル国家との関係を詳しく述べた専門的な証言を聴いた。
西岸に関しては、法廷では、完全に二つに分離した法体系の存在に現われる差別および制度化された分離について強調している。パレスチナ人は国際的に公正な裁判基準からかなり逸脱した軍事法廷によって施行された軍令に従い、不法入植地に居住しているイスラエル・ユダヤ人は、イスラエル市民法および国民裁判制度に従っている。
結果として、同じ司法管轄の中で犯された同じ犯罪であっても異なったグループのメンバーによっては、はるかに異なった手順と判決が待っている。行政支配の機構は流布している認可システムのあちこちを引き回し、官僚的な規則はイスラエル支配の領域のいたるところでパレスチナ人に不利に作用している。明示的で直ちに利用可能な南アフリカのアパルトヘイト立法とは対照的に、イスラエルの制度化された統治体制を補強している軍令と規則という多くの法の曖昧さと手続きの困難さに対して、法廷の注意は向けられている。
Ⅱ、人道の罪としての迫害
法廷で聴聞されたアパルトヘイト(人種差別政策)の問題に関連する証言の多くは、迫害という人道に反する別個の犯罪としても重要な意味を持っており、累積責任という原理の下で、イスラエルの常習行為と関連づけられるだろう。迫害とは、一般市民に対する広範囲で系統的な攻撃という背景の下で、ある身元を確認できるグループの要員=アイデンティティ・グループのメンバーの基本的な権利に対する意図的で厳格な剥奪を意味する。法廷では、以下に記述する行為に関連して、提示された証拠が迫害の有無を裏付けるものだと結論づけた。
―、一般市民への集団懲罰の一形態であるガザ地区の包囲および封鎖:
―住民の家屋破壊は軍事的必要性で正当化されない:
―東エルサレムを含む西岸における分離壁と結合した管理体制がもたらす一般住民への敵意に満ちた悪影響:
―イスラエル南部ネゲブ地域の未承認のベドゥイン人村落の破壊および強制撤収にかんする一連の軍事行動:
Ⅲ、法的帰結
アパルトヘイト(人種差別政策)および迫害は、イスラエルに起因する行為であり、その国際的な法的責任を課す必要がある。イスラエルはその人種差別行動およびその迫害政策を終止し、適切な補償と繰り返さないという保証を提示しなければならない。
加えて、イスラエルは物質的であれ道徳的であれ、いかなる損害に対しても、国際的に不法な行動に起因した権利侵害に対する完全賠償を行なわなければならない。賠償に関して言えば、それが立証できる限り、生命、財産、利益の損失といった財政的に算定可能なあらゆる賠償金を以て、イスラエルは自身が引き起こした損害に対してパレスチナ人たちに賠償しなければならない。
諸国家および国際諸組織はまた、国際的な責務を有している。イスラエルの行動形態によって生じる不法な状況を認めることなくかつイスラエルにたいする助力や援助を与えず、イスラエルの人種差別行動および迫害政策を終局にもちこむために協力する義務を担う。これらの国家と組織は、人種差別および迫害の罪を含む国際的犯罪の訴追をとおしイスラエルの国際刑事法違反を終焉させなければならない。
Ⅳ、勧告
上記に見出されたことから考え、パレスチナにかんするラッセル法廷においては、関係者すべてにそれら法的義務どおりの行動を実施することを断固として勧告する。
それゆえ法廷は次のことを勧告する:
―イスラエル国家は、パレスチナ人に対する迫害行為をただちに終止すること、常習行為およびすべての差別法を撤廃すること、およびパレスチナ人民を支配するその人種差別(アパルトヘイト)体制をただちに廃止すること:
―迫害および人種差別政策(アパルトヘイト)というイスラエルによる行動形態を生じさせる不法な状況を終焉させるため、すべての諸国家が協力すること。助力ないしは援助を与えない義務に照らしあわせて、すべての国家は国際諸組織をとおして共同で、あるいは一致されない場合には個々で、イスラエルとの互恵的な関係を破棄し、外交関係における厳しい制裁を課すことを含め、イスラエルに十分な圧力をかけるための適切な対策を検討しなければならない。:
―迫害および人種差別政策(アパルトヘイト)の犯罪を含む、2002年7月1日以来パレスチナの領域において犯された国際的な犯罪のなかで「ゴールドストーン報告書」を通じて「できるだけ迅速に」調査に着手することを求められたように、また2009年1月にパレスチナ政府当局からの要請を受けたように、国際刑事裁判所(ICC)の検察官が司法権を引き受けること。:
―パレスチナは、国際刑事裁判所のローマ規定を受諾すること。:
この法廷が見出した限りでは国民議会の形成を含むが、グローバルな市民社会(そこに存在している人種支配の体制に反対するため、イスラエルおよび占領地パレスチナの領域内で勤勉に働く個々人およびすべてのグループを含む)が、南アフリカのアパルトヘイト終焉に貢献した連帯の精神を再現すること。:
―国連総会は、国連のアパルトヘイトに対する特別委員会を再編成すること。さらにパレスチナ人民に対するアパルトヘイト(人種差別政策)の問題を検討するための特別会議を招集すること。特別委員会は、関連する適切な対策を講ずるためにイスラエルのアパルトヘイト体制を支援している個人、組織、銀行、企業、組合、慈善団体、および他のあらゆる私的・公的な団体のリストを編集すべきである。:
―国連総会は、イスラエルによる長期的な占領と人種差別政策(アパルトヘイト)の本質を審査・吟味するために、南アフリカの「人間科学研究評議会」と同様、初期のパレスチナ占領地区人権「国連特別調査委員会」、現国際司法裁判所(ICJ)に対し勧告を要求すること。
―国連人種差別撤廃委員会は、来たるべき2012年2月に、イスラエルにかんする調査においてアパルトヘイト(人種差別政策)の問題点に焦点を当てること。
―南アフリカ政府は、パレスチナにかんするラッセル法廷の第三セッションのために、主催国として法廷の前で証言した参考人に対しイスラエル国家によるいかなる報復も行われないということを保証すること。:
法廷は、パレスチナをメンバーとして認めた国連教育科学文化機関(UNESCO)の決定を歓迎する。その機関に対し米国のとった懲罰的な行動を非難する。そして自決のためにパレスチナ人民の権利を積極的に援助することをすべての国家と国際的な諸組織に勧告する。法廷はパレスチナ人の人権を断固として援助してきたこれらの国々の連帯と援助を歓迎する。そして公正と正義のために苦闘し続けることを彼らに勧告する。
付録:関連するイスラエルの立法および提案された法律
(付録省略。イスラエル・アパルトヘイトの根拠となる立法および法案が列挙されていますので、専門的な関心のある方は上記サイトで原文から確認してください。)
(以上、松元保昭訳。不適切な翻訳があれば教えてくだされば幸いです。)
パレスチナにかんするラッセル法廷:ケープタウン・セッション
2011年11月7日
●出典(Al HaqおよびPalestine Chronicle)
http://www.alhaq.org/
http://palestinechronicle.com/view_article_details.php?id=17240
●デズモンド・ツツ大司教の開会挨拶ビデオ:ラッセル法廷:ケープタウン・セッション
http://www.russelltribunalonpalestine.com/en/1399/south-africa-session-preparations
パレスチナにかんすルラッセル法廷(RT0P)は、世論を教育し政策決定者に対し圧力をかけるため、市民社会(NGO、慈善団体、労働組合、信仰に基づく諸組織)の要求に応えて創設された国際市民に基礎をおく良心の法廷である。占領地パレスチナにおけるイスラエルの(分離)壁建設にかんする国際司法裁判所(ICJ)の2004年7月9日の勧告の履行の失敗、2004年7月20日国連総会によって採用されたICJの見解を承認する決議ES-10/15の実行の失敗、および2008年12月から2009年1月のガザの出来事などにかんがみて、パレスチナ民衆の権利を援助する市民のイニシアティブを支え、また促進するために様々な国に委員会が創設された。
パレスチナにかんするルラッセル法廷(RT0P)は、卓越した学者であり哲学者のバートランド・ラッセルによって創設された「ベトナム国際民衆法廷」(1966~1967)、および「レリョ・バッソ民衆の自由と人権のための国際基金」に組織されたラテン・アメリカにかんする第二次ラッセル法廷(1974~1976)によって継承された同様の厳格な規則を採用し、また同じ精神に満ちている。この法廷に法的地位はない。人民裁判所として運営される。
イスラエル政府は、法廷に先立ちその申し立てを提示するよう招待されていたが、この権利を行使することを選択せずに当法廷の対応に無回答であった。
下記の陪審員の聴聞と審議によれば、2011年11月5日~6日のケープタウンにおけるパレスチナにかんするラッセル法廷の第三セッションの評決は、以下のように要約される。
Ⅰ、アパルトヘイト
法廷は、イスラエルは国際法のもとで明確されたアパルトヘイト(人種隔離政策)に等しい支配体制を制度化しパレスチナ人民を服従させている、と評決した。この差別的な体制は、それらの場所によって異なる区分のパレスチナ人に応じて変化する強度および形式ごとに現れている。占領地パレスチナでは、植民地軍政下で生きているパレスチナ人はとりわけ悪質なアパルトヘイト(人種差別)形態の支配に従属している。
イスラエルのパレスチナ人市民は選挙権をもっているものの、イスラエルの法律によって定義されたようなユダヤ民族の一員ではない。したがって、ユダヤ的国民の特典から締め出されており、全員一律に認められた人権の領域が系統的な差別のもとにおかれている。こうした違いに関係なく、イスラエルの支配は、パレスチナ人民が居住しているどこでも、結局、集団的には単一の統一されたアパルトヘイト体制に等しい、と法廷は結論を下した。
イスラエル国家は、国際法に含まれているアパルトヘイトの禁止を法的に遵守しなければならない。これは、人道に対する罪と見做されていることに加えアパルトヘイトの常習行為は普遍的に禁止されている。法廷では、アパルトヘイトの法的な定義に照らしあわせ、その司法制度のもとにおいてイスラエルはパレスチナの民衆を支配していると見做した。
アパルトヘイトは、それ自身独特の特徴を持つ南アフリカにおけるアパルトヘイトの経験にもとづき、国際法で禁止されている。しかしながら、アパルトヘイトの法的な定義は以下の三つの核心的要素が存在する世界中のいたるところで、またどんな状況によっても適用される。①二つの別個の人種グループが識別可能であること。②「非人間的な行為」が下位グループに対して犯されていること。そして、③このような行為が、他方を支配する一方のグループによる制度化された支配体制という文脈で組織的に犯されていること。
人種グループ
「人種グループ」の存在は、アパルトヘイトの問題の基本である。法廷で聴かれた専門家の証言に基づいて、陪審員は国際法が国民の起源や民族(エスニシティ)の要素を含む「人種」という用語に幅広い意味を与えると結論をくだす。したがって、「人種グループ」の定義は生物学的な問題というよりむしろ社会学の問題である。
イスラエル・ユダヤ人のアイデンティティとパレスチナ人のアイデンティティにかんする認知(自らの認知と第三者からの認知を含む)は、イスラエル・ユダヤ人とアラブ・パレスチナ人は、国際法の趣旨からすると別個の人種グループとして容易に定義されうると例証されている。受理した証言から、二つの別個の識別可能なグループが現実的には存在しており、「人種グループ」にかんする法的定義が、イスラエル政府当局がその司法権力でパレスチナ人を支配しているいっさいの状況に当てはまることが陪審員にとっては明白であった。
アパルトヘイトの非人間的な行為
このような体制状況で犯される個々の非人間的な行為は、国際法においてはアパルトヘイト(人種差別政策)の犯罪と定義されている。陪審員は、イスラエル政府当局によってパレスチナ民衆に対して犯されてきた「非人間的な行為」に相当する常習行為について多岐にわたる証言を聴いた。これらには次のものが含まれている。:
―「殺害を目的とする」正規の政策という形態をとった軍事作戦および襲撃を通じ広範囲におよぶパレスチナ人の生活の剥奪、ならびにデモンストレーションに対する致死力の行使。
―保護責任なしの行政拘留および恣意的な逮捕などの政策を通じた広範囲におよぶ自由の剥奪という状況下におけるパレスチナ人に対する拷問と残酷な扱い。このような政策は、治安上の事項として適当に正当化される範囲をしばしば越えており、グループとしてのパレスチナ人に対する支配形態と同然であると陪審員は評決を下している。
―パレスチナ人の開発を排除し、パレスチナ人グループを政治的、経済的、社会的かつ文化的な生活への参与を妨げる組織的な人権侵害。追放されたパレスチナ難民も、所有権および市民権の剥奪を定義する法律と同様、現在論議中の彼らの故郷に帰還する権利の否認という点に関しても、アパルトヘイト(人種差別政策)の犠牲者。とくに占領地パレスチナにおいては強制的な人口移動の政策は、依然広範囲に遂行されている。
―移動、居住、表現および結社の自由の諸権利を含むパレスチナ人の市民権および政治的な権利が厳しく抑圧されている。パレスチナ人の社会・経済的権利もまた、教育、健康、居住の領域におけるイスラエルの差別的な政策によって悪影響を及ぼされている。
1948年以来、イスラエル政府はパレスチナ人の土地の横領および植民地化といった計画的な政策を遂行してきた。イスラエルは、多くの法と常習行為を通じてイスラエル・ユダヤ人とパレスチナ人住民を分割し、また資源へのアクセス権および公共設備、経済基盤といったさまざまな質と水準を利用して両者に異なった現実空間を割り当ててきた。最終的に、二つのグループを大規模に隔離することによって、大規模な領地の断片化、そして保留地および飛び地の分離が行なわれた。法廷では、このような政策が「分離」という意味のヘブライ語hafradaとして、イスラエルでは公式な表現で使われているという趣旨の証言を聴いた。
系統的に制度化された体制
上記に上げられた非人間的な行為は、分離された実例あるいはランダムに見出されるものではない。それらは、系統的と呼べるほど補完的で統合されておりかつ十分広い範囲に及んでいる。またこれらは制度化されていると呼べるほど、公的制度および公共政策、法律という観点において十分な影響をもたらしている。
イスラエルの法体系においては、市民権およびユダヤ人国籍にかんする法を通じて非ユダヤ人よりも優先してユダヤ人に対して特権的地位が与えられ、後者は、居住権、土地所有権、都市計画、公共設備へのアクセス、および社会的、経済的、文化的権利を含む市民生活の大部分の領域において特権的グループをつくり上げた。(提出された法案および関連立法のリストを追加に加えたので参照。)法廷においては、イスラエル・ユダヤ人に排他的な数多くの実質的な特典を授与し慣習化している、ほぼ国家と同様の地位を維持するユダヤ民族諸機関(ユダヤ機関、世界シオニスト機構、およびユダヤ国民基金)とイスラエル国家との関係を詳しく述べた専門的な証言を聴いた。
西岸に関しては、法廷では、完全に二つに分離した法体系の存在に現われる差別および制度化された分離について強調している。パレスチナ人は国際的に公正な裁判基準からかなり逸脱した軍事法廷によって施行された軍令に従い、不法入植地に居住しているイスラエル・ユダヤ人は、イスラエル市民法および国民裁判制度に従っている。
結果として、同じ司法管轄の中で犯された同じ犯罪であっても異なったグループのメンバーによっては、はるかに異なった手順と判決が待っている。行政支配の機構は流布している認可システムのあちこちを引き回し、官僚的な規則はイスラエル支配の領域のいたるところでパレスチナ人に不利に作用している。明示的で直ちに利用可能な南アフリカのアパルトヘイト立法とは対照的に、イスラエルの制度化された統治体制を補強している軍令と規則という多くの法の曖昧さと手続きの困難さに対して、法廷の注意は向けられている。
Ⅱ、人道の罪としての迫害
法廷で聴聞されたアパルトヘイト(人種差別政策)の問題に関連する証言の多くは、迫害という人道に反する別個の犯罪としても重要な意味を持っており、累積責任という原理の下で、イスラエルの常習行為と関連づけられるだろう。迫害とは、一般市民に対する広範囲で系統的な攻撃という背景の下で、ある身元を確認できるグループの要員=アイデンティティ・グループのメンバーの基本的な権利に対する意図的で厳格な剥奪を意味する。法廷では、以下に記述する行為に関連して、提示された証拠が迫害の有無を裏付けるものだと結論づけた。
―、一般市民への集団懲罰の一形態であるガザ地区の包囲および封鎖:
―住民の家屋破壊は軍事的必要性で正当化されない:
―東エルサレムを含む西岸における分離壁と結合した管理体制がもたらす一般住民への敵意に満ちた悪影響:
―イスラエル南部ネゲブ地域の未承認のベドゥイン人村落の破壊および強制撤収にかんする一連の軍事行動:
Ⅲ、法的帰結
アパルトヘイト(人種差別政策)および迫害は、イスラエルに起因する行為であり、その国際的な法的責任を課す必要がある。イスラエルはその人種差別行動およびその迫害政策を終止し、適切な補償と繰り返さないという保証を提示しなければならない。
加えて、イスラエルは物質的であれ道徳的であれ、いかなる損害に対しても、国際的に不法な行動に起因した権利侵害に対する完全賠償を行なわなければならない。賠償に関して言えば、それが立証できる限り、生命、財産、利益の損失といった財政的に算定可能なあらゆる賠償金を以て、イスラエルは自身が引き起こした損害に対してパレスチナ人たちに賠償しなければならない。
諸国家および国際諸組織はまた、国際的な責務を有している。イスラエルの行動形態によって生じる不法な状況を認めることなくかつイスラエルにたいする助力や援助を与えず、イスラエルの人種差別行動および迫害政策を終局にもちこむために協力する義務を担う。これらの国家と組織は、人種差別および迫害の罪を含む国際的犯罪の訴追をとおしイスラエルの国際刑事法違反を終焉させなければならない。
Ⅳ、勧告
上記に見出されたことから考え、パレスチナにかんするラッセル法廷においては、関係者すべてにそれら法的義務どおりの行動を実施することを断固として勧告する。
それゆえ法廷は次のことを勧告する:
―イスラエル国家は、パレスチナ人に対する迫害行為をただちに終止すること、常習行為およびすべての差別法を撤廃すること、およびパレスチナ人民を支配するその人種差別(アパルトヘイト)体制をただちに廃止すること:
―迫害および人種差別政策(アパルトヘイト)というイスラエルによる行動形態を生じさせる不法な状況を終焉させるため、すべての諸国家が協力すること。助力ないしは援助を与えない義務に照らしあわせて、すべての国家は国際諸組織をとおして共同で、あるいは一致されない場合には個々で、イスラエルとの互恵的な関係を破棄し、外交関係における厳しい制裁を課すことを含め、イスラエルに十分な圧力をかけるための適切な対策を検討しなければならない。:
―迫害および人種差別政策(アパルトヘイト)の犯罪を含む、2002年7月1日以来パレスチナの領域において犯された国際的な犯罪のなかで「ゴールドストーン報告書」を通じて「できるだけ迅速に」調査に着手することを求められたように、また2009年1月にパレスチナ政府当局からの要請を受けたように、国際刑事裁判所(ICC)の検察官が司法権を引き受けること。:
―パレスチナは、国際刑事裁判所のローマ規定を受諾すること。:
この法廷が見出した限りでは国民議会の形成を含むが、グローバルな市民社会(そこに存在している人種支配の体制に反対するため、イスラエルおよび占領地パレスチナの領域内で勤勉に働く個々人およびすべてのグループを含む)が、南アフリカのアパルトヘイト終焉に貢献した連帯の精神を再現すること。:
―国連総会は、国連のアパルトヘイトに対する特別委員会を再編成すること。さらにパレスチナ人民に対するアパルトヘイト(人種差別政策)の問題を検討するための特別会議を招集すること。特別委員会は、関連する適切な対策を講ずるためにイスラエルのアパルトヘイト体制を支援している個人、組織、銀行、企業、組合、慈善団体、および他のあらゆる私的・公的な団体のリストを編集すべきである。:
―国連総会は、イスラエルによる長期的な占領と人種差別政策(アパルトヘイト)の本質を審査・吟味するために、南アフリカの「人間科学研究評議会」と同様、初期のパレスチナ占領地区人権「国連特別調査委員会」、現国際司法裁判所(ICJ)に対し勧告を要求すること。
―国連人種差別撤廃委員会は、来たるべき2012年2月に、イスラエルにかんする調査においてアパルトヘイト(人種差別政策)の問題点に焦点を当てること。
―南アフリカ政府は、パレスチナにかんするラッセル法廷の第三セッションのために、主催国として法廷の前で証言した参考人に対しイスラエル国家によるいかなる報復も行われないということを保証すること。:
法廷は、パレスチナをメンバーとして認めた国連教育科学文化機関(UNESCO)の決定を歓迎する。その機関に対し米国のとった懲罰的な行動を非難する。そして自決のためにパレスチナ人民の権利を積極的に援助することをすべての国家と国際的な諸組織に勧告する。法廷はパレスチナ人の人権を断固として援助してきたこれらの国々の連帯と援助を歓迎する。そして公正と正義のために苦闘し続けることを彼らに勧告する。
付録:関連するイスラエルの立法および提案された法律
(付録省略。イスラエル・アパルトヘイトの根拠となる立法および法案が列挙されていますので、専門的な関心のある方は上記サイトで原文から確認してください。)
(以上、松元保昭訳。不適切な翻訳があれば教えてくだされば幸いです。)
2011年11月14日月曜日
2011年10月16日日曜日
フランスの反原発団体のネットワークSorti du nuclear空送られてきた、 フランスの脱原発デモの様子と記事。
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Près de 15000 manifestants contre le ...
Libération
C'est bien joly de sortir du nucléaire si c'est pour passer aux centrales à gaz qui vont nous rendre dépendants des pays producteurs, et faire augmenter encore notre facture d'énergie. Nos joly écolos, sont contre le nucléaire, mais leur plan de ...
Les antinucléaires donnent de la voix
Metro France
Sept mois après la catastrophe nucléaire de Fukushima, les antinucléaires ne baissent pas la garde. Des actions interrégionales sont organisées samedi dans sept villes de France pour réclamer l'arrêt immédiat des centrales nucléaires de plus de trente ....
Manifestation contre le nucléaire
France 3
Stop au nucléaire. C'est le message lancé samedi par des manifestants dans plusieurs villes de France, dont Dunkerque. Stop au nucléaire. C'est le message lancé samedi par des centaines de manifestants dans plusieurs villes de France, dont Dunkerque. ...
Manifestation anti-nucléaire samedi à Saint-Vulbas (01)
LyonCapitale.fr
Ce samedi 15 octobre, une manifestation anti-nucléaire aura lieu sur le site nucléaire du Bugey à Saint-Vulbas (01) pour dire stop au nucléaire civil et militaire, et exiger l'arrêt immédiat des chantiers EPR et de tous les autres projets (Bure, ....
Les anti-nucléaires manifestent samedi dans sept villes de France
Romandie.com
PARIS - Sept manifestations sont prévues à travers la France samedi dans le cadre d'une journée de mobilisation nationale Nucléaire Stop, avec un rendez-vous important à Rennes où est attendu un trio de candidats à la présidentielle. ...
Rennes: plus de 15000 manifestants anti-nucléaires
France 3
Brandissant des banderoles "Stop au nucléaire" dans toutes les langues, "THT danger", "Areva ne fera pas la loi", les manifestants ont répondu à l'appel de la coordination antinucléaire Ouest. Ils sont venus de Bretagne, de Normandie, des Pays de la ...
Manifestation anti-nucléaire ce samedi devant la centrale ...
Enviscope
Le Groupe des élus Europe Ecologie, Les Verts de la Ville de Lyon et «Les Verts transfrontaliers» du pôle urbain et périurbain franco-suisse du Genevois appellent à manifester ce samedi 15 octobre devant la centrale nucléaire de Bugey, dans l'Ain. ...
Un rassemblement anti-nucléaire au Bugey
Lyon Info
Three Mile Island, Tchernobyl et maintenant Fukushima jalonnent l'histoire de l'industrie nucléaire d'accidents dramatiques. Le nucléaire est lié à des prises de risques énormes », écrivent les organisateurs dans un communiqué. ...
Stop Bugey : Les anti-nucléaires de l'Ain se rassemblent
Radio Scoop
Tous ont un point commun : ils réclament la fin du nucléaire en France. Pour commencer, le collectif demande la fermeture définitive de la centrale du Bugey à Saint Vulbas et l'arrêt d'ICEDA, le site d'entreposage de déchets issus du démantèlement et ...
Appel national à la mobilisation antinucléaire du 15 octobre
NPA
Depuis le 11 mars dernier, le Japon est victime, en plus d'une catastrophe naturelle, de la plus grosse catastrophe nucléaire de l'histoire avec Tchernobyl.. La radioactivité s'est répandue à des centaines de kilomètres, polluant des régions entières du ...
Des milliers de manifestants à Rennes contre le nucléaire
L'Express
Entre 8000 et 15 000 manifestants anti-nucléaire ont défilé ce samedi après-midi, sous le soleil, dans le centre ville de Rennes, derrière une banderole réclamant l'"arrêt immédiat des chantiers EPR et THT (ligne très haute tension, ndlr)". ...
Antinucléaire. Grosse mobilisation à Rennes
Le Télégramme
L'initiative d'Europe-Ecologie-Les Verts a pour objectf de reposer la question de la sortie du nucléaire un peu plus de sept mois après le tsunami qui avait déclenché la catastrophe nucléaire de Fukushima. Sortir du nucléaire, pour la coordination ...
Près de 15000 manifestants contre le ...
Libération
"Je suis née l'année de Tchernobyl et ma fille l'année de Fukuschima" et ça explique ma démarche .... dit une des manifestantes.Et, puis, j'a été élevée par des parents syndicalistes fonctionnaires et on m'a dit à l'école que la guerre c'était pas bien ...
-- Depuis 2007, cet ordinateur fonctionne à l’électricité 100 % renouvelable, garantie sans nucléaire, fournie par ENERCOOP.
Since 2007, this computer is powered by 100% renewable energy, totally no nuclear, provided by ENERCOOP http://www.enercoop.org/
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[Ouest] Liste de discussion régionale sur le nucléaire et ses alternatives. Les informations diffusées sur cette liste ne reflètent pas nécessairement le point de vue du Réseau "Sortir du nucléaire" - http://www.sortirdunucleaire.org/
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Pour se désinscrire de cette liste, envoyer un mail vide à : discu-ouest-unsubscribe@sortirdunucleaire.org
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jil quillevere
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東京電力に32年間勤務された蓮池透さんは、「安全も安心も」GE社とともにアメリカからやってきたもので、「日本の技術者が培った安全ではない」と語っています。
毎日放送ラジオ「たね蒔きジャーナル」、今日も水野晶子さんの司会と、毎日新聞専門編集委員の近藤勝重さんの案内で放送されました。今日は小出先生のお話はなしで、東京電力に32年勤務して、退職した拉致被害者家族会の蓮池透さんのお話がありました。
蓮池さん、この番組に電話出演はあったものの、スタジオ出演は初めてとのことです。拉致問題に関わられていました。
そして、文科省、放射線に学ぶ副読本を作り、過去のものは原発に津波が来ても大丈夫と言うものであり、今回の事故については前書きに触れたのみで、本文にはないのです。30年ぶりに中学校に放射線の項目が入るのです。
前のものは「わくわく原子力ランド」であり、小学生用のもの、正確な情報のもとに行動せよと言いつつ、文科省はSPEEDIを出していないのです。何が正確か、先生か親が教えないといけないのです。また、九電、北電のやらせ、近藤さん、独占企業のどうしようもない体質との指摘がありました。
そして、蓮池さんのお話、元東電社員として、福島事故を考える、蓮池さんの本で、原発は自滅すると書かれて、蓮池さん、柏崎・刈羽原発の3km圏内にいました。東電より説明がなく、両親が蓮池さんに聞いてくるのです。ごめんなさいと頑張りますとしか東電は言わないと言うのです。心配している人は多いのです。
リスナーより、蓮池さん、原発を安全と思っていたかについて、トラブルはあると思っていたが、今回のような事故は考えていなかった言うことなのです。最初に赴任したのが福島第1であり、新人は高い線量のところに、肝試しみたいに連れて行かれたのです。ばかばかしいことなのです。
保守・管理をしており、被曝した線量は100ミリシーベルトであり、大変な量で、影響の出る恐れの境界値なのです。日常の仕事でもこれだけ被曝(5年半の赴任のうち3年で被曝している)するのです。そういうリスクを背負い、東電の社員と言う意識より、当時は原発は最先端技術であり、プライドで、パイオニアとして原発を背負っている気持ちであったのです。
リスナーより、原発が安全と、電力会社が国から言わされていたのかについて、これはアメリカの、原子力の平和利用にあり、日本は被爆国で、原子力に気を付けないといけない、平和利用=安全でないといけない、平和利用と安全はパッケージで付いてきたのです。
福島第1の1号機、GE社から買ったもので、作ってもらった、ターンキー契約(作ったからキーを渡すから後よろしく)で、安全も一緒と思っていたのです。蓮池さん32年原子力をやって、日本の技術者が安全を積み上げたのではない、アメリカから安全もついてきたと言うのです。日本の技術者が培った安全ではないのです。
これ(安全神話)に、異議を挟む人は、雇わないので、いないのです。本丸から反対運動をしている人は入れない、優等生の集まりで、平均的なまじめな人の集まりで、世の中からずれているのです。やらせもどこもやっているので、東電も、関電もやっている、競争相手がいない、自分たちのやることがスタンダードであり、やっていることが間違っていると思わないのです。
電気は黙っていても売れるから、スタンダードが後から付いてくるのです。埋没して働いている人には、社会常識から外れていると言う感覚が麻痺しているのです。東電社員の意識は、今相当危機的であり、福利厚生施設が廃止、給料も下がる、罵声を浴びせられるものの、その表情を東電は外に出さないのです。人間味が感じられないのです。まじめな人が多すぎて、蓮池さん異端児であり、正確なこと(東電の記者会見は社会との接点、言質を取られない能面でやっている)を出さない、人間味のある人がいるのに、出てこないのです。
中学生のリスナーより、蓮池さんが仕事の最中に津波が来たらどうかについて、無防備になる、10mの津波など、無想定、何も考えていないのです。津波が来たらと言う人は、出来て発電している、1,2号機は減価償却も終わり使うほど儲かる、会社として、改良を躊躇する(金と時間がかかる、保安院より安全のお墨付きをもらっており、防波堤を増やすと言ったら、今まで危なかったのかと言われる、旧通産省の面子丸つぶれになる)のです。
東電に32年いて、悲哀があるのです。
リスナーより、現場作業員のことをどう思うかについて、下請け、孫請けについて、どんどん下請けが増えると、末端の人まで東電が管理できない、東芝、日立に工事を発注するが、そこの責任で再発注され、作業員名簿はあるものの、東電として、どんな作業でどんな被曝かはわからないのです。正規社員との待遇の格差はあるのです。
研究者として、立ち行かないと思い、核燃料サイクル(廃棄物)の仕事をして、核のゴミ、放射能をどう捨てるのか、場所が決まらない、原発は事故前ですら受け入れるところはなかなかない、手を挙げたところは町長がリコールされる、核のゴミを捨てる場所が本当にあるのかと、見通しは暗いと思ったのです。東電にいた時は話せない、このままだと自滅する、その実態を電力会社、国も受け止めて、トイレのないマンション、下流から詰まって、原子炉に燃料を入れられなくなると言われました。
これで時間です。蓮池さんのお話、貴重でした、これを、お伝えいたしました。
蓮池さん、この番組に電話出演はあったものの、スタジオ出演は初めてとのことです。拉致問題に関わられていました。
そして、文科省、放射線に学ぶ副読本を作り、過去のものは原発に津波が来ても大丈夫と言うものであり、今回の事故については前書きに触れたのみで、本文にはないのです。30年ぶりに中学校に放射線の項目が入るのです。
前のものは「わくわく原子力ランド」であり、小学生用のもの、正確な情報のもとに行動せよと言いつつ、文科省はSPEEDIを出していないのです。何が正確か、先生か親が教えないといけないのです。また、九電、北電のやらせ、近藤さん、独占企業のどうしようもない体質との指摘がありました。
そして、蓮池さんのお話、元東電社員として、福島事故を考える、蓮池さんの本で、原発は自滅すると書かれて、蓮池さん、柏崎・刈羽原発の3km圏内にいました。東電より説明がなく、両親が蓮池さんに聞いてくるのです。ごめんなさいと頑張りますとしか東電は言わないと言うのです。心配している人は多いのです。
リスナーより、蓮池さん、原発を安全と思っていたかについて、トラブルはあると思っていたが、今回のような事故は考えていなかった言うことなのです。最初に赴任したのが福島第1であり、新人は高い線量のところに、肝試しみたいに連れて行かれたのです。ばかばかしいことなのです。
保守・管理をしており、被曝した線量は100ミリシーベルトであり、大変な量で、影響の出る恐れの境界値なのです。日常の仕事でもこれだけ被曝(5年半の赴任のうち3年で被曝している)するのです。そういうリスクを背負い、東電の社員と言う意識より、当時は原発は最先端技術であり、プライドで、パイオニアとして原発を背負っている気持ちであったのです。
リスナーより、原発が安全と、電力会社が国から言わされていたのかについて、これはアメリカの、原子力の平和利用にあり、日本は被爆国で、原子力に気を付けないといけない、平和利用=安全でないといけない、平和利用と安全はパッケージで付いてきたのです。
福島第1の1号機、GE社から買ったもので、作ってもらった、ターンキー契約(作ったからキーを渡すから後よろしく)で、安全も一緒と思っていたのです。蓮池さん32年原子力をやって、日本の技術者が安全を積み上げたのではない、アメリカから安全もついてきたと言うのです。日本の技術者が培った安全ではないのです。
これ(安全神話)に、異議を挟む人は、雇わないので、いないのです。本丸から反対運動をしている人は入れない、優等生の集まりで、平均的なまじめな人の集まりで、世の中からずれているのです。やらせもどこもやっているので、東電も、関電もやっている、競争相手がいない、自分たちのやることがスタンダードであり、やっていることが間違っていると思わないのです。
電気は黙っていても売れるから、スタンダードが後から付いてくるのです。埋没して働いている人には、社会常識から外れていると言う感覚が麻痺しているのです。東電社員の意識は、今相当危機的であり、福利厚生施設が廃止、給料も下がる、罵声を浴びせられるものの、その表情を東電は外に出さないのです。人間味が感じられないのです。まじめな人が多すぎて、蓮池さん異端児であり、正確なこと(東電の記者会見は社会との接点、言質を取られない能面でやっている)を出さない、人間味のある人がいるのに、出てこないのです。
中学生のリスナーより、蓮池さんが仕事の最中に津波が来たらどうかについて、無防備になる、10mの津波など、無想定、何も考えていないのです。津波が来たらと言う人は、出来て発電している、1,2号機は減価償却も終わり使うほど儲かる、会社として、改良を躊躇する(金と時間がかかる、保安院より安全のお墨付きをもらっており、防波堤を増やすと言ったら、今まで危なかったのかと言われる、旧通産省の面子丸つぶれになる)のです。
東電に32年いて、悲哀があるのです。
リスナーより、現場作業員のことをどう思うかについて、下請け、孫請けについて、どんどん下請けが増えると、末端の人まで東電が管理できない、東芝、日立に工事を発注するが、そこの責任で再発注され、作業員名簿はあるものの、東電として、どんな作業でどんな被曝かはわからないのです。正規社員との待遇の格差はあるのです。
研究者として、立ち行かないと思い、核燃料サイクル(廃棄物)の仕事をして、核のゴミ、放射能をどう捨てるのか、場所が決まらない、原発は事故前ですら受け入れるところはなかなかない、手を挙げたところは町長がリコールされる、核のゴミを捨てる場所が本当にあるのかと、見通しは暗いと思ったのです。東電にいた時は話せない、このままだと自滅する、その実態を電力会社、国も受け止めて、トイレのないマンション、下流から詰まって、原子炉に燃料を入れられなくなると言われました。
これで時間です。蓮池さんのお話、貴重でした、これを、お伝えいたしました。
2011年10月14日金曜日
福島原発震災情報連絡センター設立の呼びかけ
私たちは、原子力発電所の立地及び周辺の都道府県の広域・基礎自治体議員です。
3月11日の東日本大震災は、世界の原発事故史上類を見ない福島原発震災をひきおこし、大量の放射性物質を環境に撒き散らしながら、いまだ収束のめどの立っていない状況にあります。「ヒロシマ・ナガサキ」の高線量に基づく放射線外部被ばくから「チェルノブイリ・フクシマ」という低線量に基づく放射線内部被ばくという日常的放射能汚染時代を迎えてしまいました。
わたしたちは、これまで原発震災、放射能汚染と放射線被曝によって苦しむ福島原発震災被災者や広い地域の市民の現実に向き合い、被災者支援活動と全国17カ所に散在する54基の原子力発電所を廃絶のための活動を進めてきました。
今般、福島県の被災地自治体の復旧・復興への支援と全国の原発立地自治体・周辺自治体・広域自治体に関わる自治体運営の情報交流を図るために「福島原発震災情報連絡センター」を設立することとなりました。設立の概要は下記の通りです。多くの皆さんの参加をお待ちしています。
尚、27日から経済産業省前にて「原発いらない福島の女たち」で座り込みが始まります。
共に頑張り原発廃絶を実現しましょう。
記
1.日 時 2011年10月26日(水)午後1時30分~午後4時30分
2.場 所 衆議院第2議員会館 第3会議室(稲見哲男衆議院議員事務所で借りています)
3.内 容 午後1時30分~午後2時30分 設立総会
経過、設立趣旨報告
「福島原発震災被曝者援護法制定に向けて」日弁連からの報告
福島原発震災被災地報告
11月27日(日)いわき市にて「福島と全国を結ぶ」交流会
午後2時30分~午後3時30分 木村真三准教授によるご講演
「広島・長崎―チェルノブイリ-福島」
NHK報道番組「放射能汚染地図」で活躍した木村真三さんが25日までの
チェルブイリでの調査を終えて駆けつけます。
午後3時30分~午後4時30分 質疑、意見交換
4.お問い合わせ先 いわき市議会議員 佐藤和良
〒971-8144 福島県いわき市鹿島町久保字於振1-2
新潟市議会議員 中山 均
〒950-2074新潟市西区真砂1-21-46 begin_of_the_skype_highlighting
Tel 025-230-6442 fax025-230-6371
Email nakayama14@gmail.com
静岡市議会議員 松谷 清
〒420-8602県静岡市追手町5-1 静岡市議会内
電話 054-254-3605、fax 054-260-5552
E-mail matsuya@aioros.ocn.ne.jp
※※ 先立って26日9:30より 環境省など放射能がれき問題など自治体議員政策情報センター「国―地方」政策研究会が同じ会場で開催されます。
福島原発震災情報連絡センター(仮称)の呼びかけ
2011年10月13日
呼びかけ人代表
いわき市議会議員 佐藤和良
新潟市議会議員 中山 均
静岡市議会議員 松谷 清
当面の連絡先:静岡市議会 会派 虹と緑内
054-254-2111 松谷まで
054-254-2111 松谷まで
(事務局は、代表呼びかけ人三ヶ所)
3月11日の東日本大震災は、東京電力第一原発において、世界の原発事故史上類を見ない震災を引き起こし、いまだ収束のめどは立っていません。メルトアウトに陥った原子炉からはまだ大量の放射性物質が大気中や海洋へ放出され、構内では被ばく労働も深刻化しています。日本と世界は、「ヒロシマ・ナガサキ」の高線量外部被ばくから「チェルノブイリ・フクシマ」の低線量内部被ばくという日常的放射能汚染時代を迎えてしまいました。
今回、原発事故時の情報は発災当初から統制され、子どもたちや県民は汚染地域に留め置かれ、その結果長期にわたる低線量被曝が強いられています。そして、「避難なき除染」に数兆円の国家予算が投入されようとしており、県民健康管理調査という名の「治療なき調査」が、自治体と県民を動員して始まりました。これらは福島県民にとって、「棄民化政策」そのものです。
放射能汚染は東日本の広範な地域へ広がり、汚染食材・食品による内部被曝、ホットスポットの発見、放射性がれき・汚泥処理など、問題は拡大しています。子どもたちを守るための自主避難、集団疎開裁判や放射能市民測定所の開設など、自らの健康と「生存権」のための運動も始まっています。しかし一方で、年間1ミリシーベルトを超える被曝量のある地域でいまだ多くの子どもたちが生活しています。その深刻な状況を、私たちははっきり認識する必要があります。
一方、福島原発震災によって、脱原発への転換を求める国民の声は日増しに強まっています。しかし、「原発の安全神話」が崩壊する中で、経産省や電力業界などは、今度は「放射能の安全神話」を持ち出し、巻き返しを図っています。また、野田新内閣は、定期検査後の原発再稼動を国連の場でも公言しています。
また、私たちは、放射能汚染・被曝労働を地方に押しつけながら、その犠牲の上に都市部のエネルギーを供給することを目的に原発政策が続けられてきたことを忘れてはなりません。福島原発震災からの復旧・復興過程は、文明や社会のあり方の根本的転換を含む自治体の新しい姿を私達に問いかけています。すでに、東日本大震災被災地で延期されていた自治体議員選挙も始まり、様々なテーマが政治争点として浮上しています。
私たちの多くは、これまで全国で原発の廃止を求めて活動を続けてきましたが、3.11の前に「脱原発」を実現することはできませんでした。今回の原発震災の責任の一部は私たちにもあるという痛恨の思いを強くしながら、私たちは、汚染と被曝の問題に直面する福島の「語り部」として、あるいはその現実に向き合う者として、福島県内外で活動を紡ぎ合い、想いや議論を交わしてきました。
私たちはその議論の中から、下記の目的と活動を目標とする「福島原発震災情報連絡センター」(仮称)を設立することを合意し、皆様に参加を呼びかけるものです。
目的と活動
1.原発震災で強要される汚染と被曝を強いられる人々の「生存権」(憲法25条)を保障し、特に子どもたちの命と健康を守る。
(1)非汚染食品の提供、放射能測定器購入などへの支援
(2)福島県外への避難・疎開の受け入れの拡大とその制度化の実現
(3)「被曝者健康手帳」の発行と定期的な健康診断、医療行為の無償化、社会保障を組み込んだ「福島原発被曝者援護法」の制定を目指す
2.社会や経済、地域のあり方の転換を伴う原発震災「復旧・復興」の実現
(1) 100年を超える期間を射程にした自然災害に強いまちづくり、分散型エネルギー、交付金依存からの脱却、一次産業の育成や新たな地域経済、過度なエネルギー依存のライフスタイルからの転換など、自治体の新しい姿を目指す
(2)これらを実現・推進するための法的枠組みの研究
3.福島と全国の情報や経験の交流
(1)福島の情報発信としての「語り部」、福島の現実に学ぶ活動など、往還運動を進め、脱原発社会実現のため情報や経験の交流を図る
(2)その他、志を共にする市民運動やNPOなどとの連携や情報交換を進める
会員 自治体議員
会費 年間 3000円(郵便振替準備中)
事務局 呼びかけ人代表3人の連絡先
規約 作成途中
●呼びかけ人(2011年10月13日)
呼びかけ人代表 佐藤和良 中山 均 松谷 清
北海道 大嶋薫札幌市議
久保あつこ旭川市議
道畑克雄函館市議
福島県 佐藤和良いわき市議、へびいし郁子郡山市議、駒崎ゆきこ郡山市議、
滝田はるな郡山市議
新潟県 中山均新潟市議 矢部忠夫柏崎市議
石川県 北野すすむ珠洲市議
静岡県 大石和央牧之原市議 山下冨美子沼津市議 江本こうじ沼津市議 栗原一郎三島市議 宮澤圭輔静岡市議 松谷清静岡市議
神奈川県 猪俣美恵川崎市議
鳥取県 中川健作米子市議
佐賀県 盛 泰子伊万里市議
福岡県 荒木龍昇福岡市議
鹿児島県 野口英一郎鹿児島市議
熊本県 神田公司合志市議
大分県 玉田輝義県議
大阪府 増田京子箕面市議 小山広明泉南市議 野々上愛高槻市議 高橋 のぼる泉大津市議
兵庫県 丸尾まき兵庫県議、鈴木年信高砂市議
岡山県 横田えつこ岡山県議 鬼木のぞみ岡山市議 大熊公平総社市議 森下誠一吉備中央町議 黒田員米吉備中央町議
広島県 間庭恭子広島市議 落合真弓福山市議
群馬県 角倉邦良県議
埼玉県 片山いくこ春日部市議 矢澤江美子八潮市議
東京都 福士敬子東京都議 小枝すみ子千代田区議 中村まさこ江東区議 すぐろ奈緒杉並区議 奥山たえこ杉並区議 片山 薫小金井市議 漢人あきこ小金井市議 橋本久雄小平市議 村松真左美小平市議 野村羊子三鷹市議 すぐろ奈緒杉並区議 奥山たえこ杉並区議 大沢ゆたか立川市議 陣内やすこ八王子市議
上原公子(政策情報センター)
* 参考資料/7・18ハイロアクション・ふくしま宣言
■〔最悪の事態の防止〕
私たちは、東京電力と国へ、制御不能の最悪の事態の招来と環境中へのこれ以上の放射能流出とを食い止めることを最優先にして、あらゆる努力を行なうことを要求します。
・情報操作を直ちに止め、全ての情報の即時公開を行なうこと。
・国際的な支援を最大限受け入れること。
・原発事故の悪化阻止と収拾のために動員されるすべての労働者に対し、緊急時被ばく基準年間250ミリシーベルトを撤回し、厳しい被ばく管理・健康管理その他労働者の健康と生活を守るためのあらゆる措置を講じること。
■〔被曝の最小化〕
私たちは、放射能の恐怖から開放され、自由な、そして健康で文化的な生活を営む権利に基づき、可能な限り被ばくを減らす対策を、市町村・県・国に要求します。
・子ども、妊婦、将来子どもを産み育てる若い世代の人々を被ばくリスクの低い地域に避難させること。
・事故直後からの被ばく積算量および内部被ばくを正当に考慮に入れ、避難区域を拡大すること。
・避難の権利を保障し、自主避難住民に対しても避難指示区域住民と同等の各種支援・補償を行なうこと。
・被ばく調査を早急に行ない、被ばく者健康手帳を交付し、健康診断・健康被害の予防・治療を国の責任で行うこと。
・福島原発事故被ばく者援護法を制定すること。
■〔廃炉の決定・政策転換〕
私たちは、全ての原子力発電所を廃炉とし、核燃サイクル計画を放棄し、エネルギー政策の抜本的転換を行なうことを、国・県に要求します。
・国と東京電力は、このような甚大な事故を起こしてしまった責任および事故発生後の対応の失敗の責任を認め、福島県民、全国民、全世界の人びとに対して謝罪すること。
・福島第一原発5・6号機と第二原発の廃炉、浪江小高原発の新設計画の白紙撤回を、早急に決定すること。
■〔永続的な管理〕
1、 私たちは、東京電力と国に、福島第一・第二原発が40年間に生み出してきた死の灰を、廃炉や事故による汚染物質とともに、完全に安全になるまで永続的に管理し続けることを要求します。
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