2011年11月24日木曜日

11.23どうする普天間基地問題シンポジウム札幌 http://law-takasaki.com/topics_date/22.html http://www.facebook.com/profile.php?id=100002645537421&ref=tn_tnmn#!/event.php?eid=305218889506418

11.23どうする普天間基地問題シンポジウム札幌
伊波洋一氏
物言わぬ日本政府、権限は米国連邦議会に!
米兵犯罪は日本政府が裁判権を放棄、米国軍法会議は裁かない!
柳澤協二氏
対中国戦略ではアメリカは本当は沖縄基地をオーストラリアに移したい!
それでも執拗に決着を迫るのは単なる政治的ポーズ!
政治的方針は簡単には変えられない!

2011年11月22日火曜日

韓国の脱原発団体・[エネルギー正義行動](http://energyjustice.kr / e-mail :

韓国の脱原発団体・[エネルギー正義行動](http://energyjustice.kr/ / e-mail :
eja@energyjustice.kr
)が21日、韓国政府の原発推進政策に抗議して声明を発表しました。韓国政府を死の商人と痛罵しています。日本も同じではないでしょうか。この団体を中心に韓国の環境団体が来年の3・11に韓国で5万人の反原発行動を企画しています。声明文は以下の通りです。原文をその下に載せます。



-福島核事故を機会にしようとする原子力振興総合計画糾弾する。

 -第4次原子力振興総合計画確定に対するエネルギー正義行動声明書-



今日(21日)政府はキム・ファンシク国務総理主催で第1次原子力振興委員会を開いて第4次原子力振興総合計画を審議.確定した。



その間原子力振興計画は“福島事故を機会に”、原子力発電所輸出を増進するという内容を入れて多くの批判を受けて来た。福島核事故以後脱核発電に進む各国の流れに従うことはおろか、“この機会に一もうけを”という軽薄な商法を政府の公式計画で明らかにしていることだ。



全世界がすでに目撃したように核発電が安全でないということはすでに確認された。
それにもかかわらず、ずっと原子力発電所を輸出するということは私たち自らが全世界に第2のチェルノブイリ、福島を増やすということに他ならない。米国が日本、福島に原子力発電所を輸出しなかったとすれば、私たちが目撃した惨劇が広がらなかっただろう。
1979年スリーマイル核事故以後、これ以上原子力発電所を作らない米国は全世界に原子力発電所を輸出している。自国内建設が難しくなるとすぐに核産業界は新しい活路を探したのだ。
同じように今回巨大な核事故を体験した日本はやはり自国内脱核政策推進と関係がなくベトナムなど他の国に原子力発電所輸出を推進している。彼らは自国の事故を後にしたまま全世界を歩き回る“死の商人”になっていつ事故が起きるのか分からない原子力発電所をずっと輸出しているのだ。



そして今、私たちがその後について新しい“死の商人”になろうとする。それもIT,造船に後に続く代表輸出産業として核産業を政府が主導的に育成しようとするのだ。
私たちに今必要なことは核産業を育成して輸出することではない。我が国内部では脱核宣言を通じて老朽原子力発電所を閉鎖して新規原子力発電所建設を中断しなければならないだろう。
また、既存の原子力発電所研究開発に集中した研究開発は原子力発電所安全性だけでなく、原子力発電所を閉鎖して高レベル核廃棄物などを処分できる技術に集中しなければならない。この間、拡張中心の核発電政策を推進してきた我が国は原子力発電所閉鎖と核廃棄物処分技術に等閑視してきた。
これは原子力発電所を運営する所ならばどこにも必要な技術にもかかわらずこれに対する関心と支援は常に後ろに追いやられてきたのだ。これらの技術は脱核政策に進むために必須の技術だ。



福島核事故の教訓を正しく知っているならば、私たちに必要なことは原子力発電所振興ではない。
危険な原子力発電所を全世界に販売して歩き回る“死の商人”になることでは到底ない。
しかし今日発表した原子力振興総合計画は私たち自ら福島の教訓と正反対方向でそれも最悪の道に進む決定だ。私たちは今日、原子力振興委員会決定を強力に糾弾する。
今日彼らが下した決定は大韓民国を“歴史の教訓を理解できない国”、あえて“死の商人”になろうとする国にしてしまったのだ。自分たちが下した決定がどれくらい恥ずかしい決定であったかキム・ファンシク国務総理をはじめ原子力振興委員は明確に知らなければならないだろう。



2011.11.21.



エネルギー正義行動



<問合せ エネルギー正義行動 イーホンソク(02-702-4979 / 010-2240-1614)>




에너지정의행동 성명서
(110-876) 서울 종로구 숭인동 76 롯데캐슬천지인 지동 205호 전화)02-702-4979/팩스)02-704-4979
<2011년 11월 21일(월)|총2매|문의:에너지정의행동 이헌석 (02-702-4979/010-2240-1614)>
스스로 죽음의 상인이 되기를 원하는 한국정부.
핵발전소 수출 증진이 아니라,
탈핵선언과 폐로기술개발이 이뤄져야 한다.

- 후쿠시마 핵사고를 기회로 삼고자하는 원자력진흥종합계획 규탄한다. -
제4차 원자력진흥종합계획 확정에 대한 에너지정의행동 성명서 -

오늘(21일) 정부는 김황식 국무총리 주재로 제1차 원자력진흥위원회를 열어, 제4차 원자력진흥종합계획을 심의.확정했다.

그간 원자력진흥계획은 “후쿠시마 사고를 기회로 삼아”, 핵발전소 수출을 증진하겠다는 내용을 담아 많은 비판을 받아왔다.
후쿠시마 핵사고 이후 탈핵발전으로 나아가는 각국의 흐름을 따르기는 커녕, “이 기회에 한 몫 잡아보겠다”는 얄팍한 상술을
정부의 공식계획으로 밝히고 있는 것이다.

전 세계가 이미 목격한 것처럼 핵발전이 안전하지 못하다는 것은 이미 확인되었다.
그럼에도 불구하고 계속 핵발전소를 수출하겠다는 것은 우리 스스로가 전세계에 제2의 체르노빌, 후쿠시마를 늘리겠다는 말의 다름이
아니다. 미국이 일본 후쿠시마에 핵발전소를 수출하지 않았다면, 우리가 목격한 참극이 벌어지지 않았을 것이다. 1979년
드리마일 핵사고 이후 더 이상 핵발전소를 짓지 않는 미국은 전세계에 핵발전소를 수출하고 있다. 자국내 건설이 힘들어지자
핵산업계는 새로운 활로는 찾은 것이다. 마찬가지로 이번에 거대한 핵사고를 겪은 일본 역시 자국 내 탈핵정책 추진과 무관하게
베트남 등 다른 나라에 핵발전소 수출을 추진하고 있다. 그들은 자국의 사고를 뒤로 한 채 전세계를 돌아다니는 “죽음의 상인”이
되어 언제 사고가 일어날지 알 수 없는 핵발전소를 계속 수출하고 있는 것이다.

그리고 이제 우리가 그 뒤를 따라 새로운 “죽음의 상인”이 되려고 한다. 그것도 IT, 조선에 뒤이을 대표 수출산업으로
핵산업을 정부가 주도적으로 육성하려고 하는 것이다. 우리에게 지금 필요한 것은 핵산업을 육성하고 수출하는 것이 아니다.
우리나라 내부에서는 탈핵선언을 통해 노후핵발전소를 폐쇄하고 신규 핵발전소 건설을 중단해야 할 것이다. 또한 기존의 핵발전소
연구개발에 집중되었던 연구개발은 핵발전소 안전성 뿐만 아니라, 핵발전소를 폐쇄하고 고준위 핵폐기물 등을 처분할 수 있는 기술에
집중되어야 한다. 그간 확장 위주의 핵발전정책을 추진해 온 우리나라는 핵발전소 폐쇄와 핵폐기물 처분기술에 등안시 해왔다. 이는
핵발전소를 운영하는 곳이라면 어디나 필요한 기술임에도 불구하고 이에 대한 관심과 지원은 항상 뒤로 밀렸던 것이다. 이들 기술은
탈핵정책으로 나아가는데 필수적인 기술이다.

후쿠시마 핵사고의 교훈을 제대로 알고 있다면, 우리에게 필요한 것은 핵발전소 진흥이 아니다. 위험한 핵발전소를 전세계에
판매하고 돌아다니는 “죽음의 상인”이 되는 것은 더욱 아니다. 그러나 오늘 발표한 원자력진흥종합계획은 우리 스스로 후쿠시마의
교훈과 정반대방향으로 그것도 가장 최악의 길로 나아가는 결정이다. 우리는 오늘 원자력진흥위원회 결정을 강력히 규탄한다. 오늘
그들이 내린 결정은 대한민국을 “역사의 교훈을 이해 못하는 나라”, 굳이 “죽음의 상인”이 되려고 하는 나라로 만들어버린
결정이다. 자신들이 내린 결정이 얼마나 부끄러운 결정이었는지 김황식 국무총리를 비롯 원자력진흥위원들은 분명히 알아야 할
것이다.


2011.11.21.

에너지정의행동
<문의 : 에너지정의행동 이헌석 (02-702-4979 / 010-2240-1614)>
<끝>

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02-704-4979 / 홈페이지 : http://energyjustice.kr/ / e-mail :
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2011年11月21日月曜日

シリーズ:515スペイン大衆反乱 15M(キンセ・デ・エメ) 第8話(最終回):「旅人に道はない。歩いて道が作られる。」

シリーズ:515スペイン大衆反乱 15M(キンセ・デ・エメ) 第8話(最終回):「旅人に道はない。歩いて道が作られる。」
http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spanish_5-15_movements-08.html

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シリーズ:515スペイン大衆反乱 15-M(キンセ・デ・エメ)

【第1話: バンケーロ、バンケーロ、バンケーロ】
http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spanish_5-15_movements-01.html
【第2話: プエルタ・デル・ソルへ!】
http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spanish_5-15_movements-02.html
【第3話: 広場を取り戻せ!】
http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spanish_5-15_movements-03.html
【第4話: 暴力反対!】
http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spanish_5-15_movements-04.html
【第5話: 世界に広がる「スペイン革命」】
http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spanish_5-15_movements-05.html
【第6話: 限界、分裂、そして広がり】
http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spanish_5-15_movements-06.html
『第7話:5月15日から10月15日への「長征」』
http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spanish_5-15_movements-07.html
『第8話(最終回):旅人に道はない。歩いて道が作られる。』
http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spanish_5-15_movements-08.html

2011年11月20日日曜日

シリーズ:515スペイン大衆反乱 15M(キンセ・デ・エメ) 第7話:5月15日から10月15日への「長征」

http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spanish_5-15_movements-07.html
シリーズ:515スペイン大衆反乱 15M(キンセ・デ・エメ) 第7話:5月15日から10月15日への「長征」

このシリーズは写真やビデオを多く用いています。もし画像リンクで写真が表示されないようなら、ご面倒ですが、上記のリンク先でお読みください。

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シリーズ: 515スペイン大衆反乱
15-M(キンセ・デ・エメ):第7話

写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-barcelona-04.jpg
【キャプション:カタルーニャ語の横断幕『市場の独裁主義に反対! 新たな世界が不可欠だ!』
        2011年10月15日 バルセロナにて(Nara Ikumi撮影)】

【第7話:5月15日から10月15日への「長征」】
 前回(第6話)で申し上げたように、6月19日にはスペイン全土の都市を巨大なデモンストレーションが覆った。それは、金融市場の数字を「経済」と呼び、カネ縛りにすることで政治を動かし、政治を動かして世界の国々とそこに住む人々の生活や社会を破壊しながら利益を独占していくネオリベラリズムの実態を、幅広く人々に明らかにしようとするものだった。いま世界を襲っている困難は「経済危機」などと呼べるものではない。それは詐欺であり泥棒であり、破壊であり略奪である。


 あれこれと面倒な経済理論を掲げるまでもあるまい。「小盗は拘(とら)われ大盗は諸侯となる」という荘子の言葉があるが、この2千年以上、人類は根本のところで進歩も発展もしていない。ネオリベラルとは、要は大盗人(おおぬすっと)どもによる最も能率の良い詐欺・破壊・略奪のシステムの稼動に過ぎない。また今の選挙制度は「大盗人が見せるどっちの顔がちっとはマシか」を選択するものに他ならない。


 真実は最も単純な形で存在する。単純すぎるから逆に見えなくなる。「それを言っちゃあ身も蓋もない」ということだろう。大衆の反乱は、単純に苦痛と困難を身に受けている者たちがその単純な事実と真相を最も単純な形で表にするものである。あれこれと複雑怪奇に解釈する余地は無い。同時にこの15Mの運動は、あらゆる暴力に反対しあくまで自らの体を張った平和的な行動で、その真実を明らかにして社会と世界の変革の必要を訴えていくものである。その運きに特別の「指導部」というようなものは無い。現在の世界に住むあらゆる人々を巻き込んでいる以上、誰もが指導部でありうる。

 その「インディグナドス(怒れる人々)」の行動は6月以降、スペインの各地からマドリッドに向けて歩いて行進し、15Mの原点であるプエルタ・デル・ソル広場に結集するという前代未聞の形を取ることになった。バルセロナからは約200名が6月25日に出発して、途中でリェイダ、サラゴサなどの都市を通って新たな参加者を加え、500人を超える人数で7月21日にマドリッドに到着した。600kmを超える行程を、1日に平均25km歩いたことになる。
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/7-madrid-01.jpg
【キャプション:バルセロナから600km以上を歩いてマドリッドまでやってきた「インディグナドス」。
        『人々の怒りの行進に加われ』の横断幕を掲げる(エル・パイス紙)】


 マドリッドはおよそ正方形の形をしたイベリア半島のちょうど中央部にある。最も周辺部からの距離は各方位で似たような距離になる。カタルーニャからだけではなく、ガリシア、アンダルシア、バレンシア、アストゥリアス、バスクなど、スペインの各地から、続々と行進の人々がマドリッドに到着してきた。中には500km以上を歩いてきた70歳を超える老夫婦もいる。
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/7-madrid-03.jpg
【キャプション:マドリッドのプラド通を行進する、全土から集まった人々。
        「これは危機じゃない。その体制なのだ」の横断幕(エル・ムンド紙)】


 プエルタ・デル・ソル広場は、6月13日以降も一部のアカンパダ(泊り込み)が続いて警察の排除と再占拠が繰り返されていたのだが、この7月20日から数日間は再び15Mの熱気に包まれた。
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/7-madrid-06.jpg
【キャプション:プエルタ・デル・ソルに戻ってきた15Mの熱気(エル・ムンド紙)】


写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/7-madrid-05.jpg
【キャプション:公園などにテント村を作って泊り込むスペイン各地からやってきた人々(エル・パイス紙)】

 そしてそこでまた実に奇想天外な決定がなされた。「インディグナドス」の一部、50名ほどが、EUとユーロの首都であるベルギーのブリュッセルまで、パリを経由して自分の足で歩いて行くというのである。そうしながら途中の各地で今の世界の真相と変革の必要性を訴え、また他の欧州諸国から来る人たちと出会うことになる。


 その多くは7月26日にマドリッドから、そして一部がバルセロナから出発した。彼らは、フランスやイタリアなどの同志たちとパリで合流してブリュッセルへと行脚する。その目的は、7月24日に採択されたユーロプラス協定への抗議である。あれやこれやと美辞麗句に包まれてはいるが、この協定は各国の主権をないがしろにした、IMFや巨大金融機関による泥棒経済の徹底化である、というのが彼らの主張だ。
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/7-go_to_Bruselas.jpg
【キャプション:7月26日、マドリッドを出発するブリュッセルへの人民行進。横断幕には
        『ゆっくり行こう。道は遠いのだから。』(エル・パイス紙)】

 ここで話は2ヶ月ほど飛ぶことになる。その間にマドリッドはローマ教皇ベネディクト16世を迎えて、世界中から100万人のカトリック信徒の若者が集まる「世界青年の日」が開かれたために、スペイン中が大騒動ぎになっていた。これはこれでいろいろと興味深い話が山盛りなのだが、残念ながら割愛する。

 『第5話:世界に広がる「スペイン革命」』でも説明したとおり、9月17日に米国で「ウォール街占拠」の運動が開始されたが、それに合わせるようにマドリッドでも中央証券取引所の前で抗議行動が行われた。その2日後の9月19日、7週間をかけて1200km以上を歩き続けパリに入城したスペインの「インディグナドス」たちに、フランス警察の手荒い歓迎が待っていた。大勢のフランス人支援者たちと一緒にサンジェルマン通を行進していたところに警官隊がなだれ込み、スペイン人全員を含む117人が逮捕され数名の負傷者を出した。理由は「無届デモ」だったが、彼らは普通に歩道を歩いていたのである。明らかに、彼らの行動に対するフランス政府の恫喝に他ならない。この様子は次のYouTubeビデオで確認できる。
    http://www.youtube.com/watch?v=y7JDFR7HZR4


 逮捕者たちは全員が1日か2日で釈放されたが、スペインではマドリッドのフランス大使館とバルセロナの領事館の前でこの弾圧に対する抗議集会が開かれた。「行脚隊」は本来ならば10月8日にブリュッセルに到着するように、フランスやイタリアなど多くの国から来た人々と共に21日にパリを出発する予定だった。しかし急遽それを変更して、ノートルダムの広場でフランス警察の弾圧への抗議集会を行おうとしたが、これは多数の機動隊の装甲車を繰り出した警察によって阻止された。欧州ネオコンの代表格であるサルコジにとって、ユーロプラス協定への反対はよほど気に食わぬものらしい。


 仲間を増やした「インディグナドス」はパリからブリュッセルまでの道を歩き続けた。そして予定通りに10月8日にブリュッセルに到着した。約50名のスペイン人たちは、疲れきった体と途中での激しい暴力にもめげず、およそ2ヵ月半をかけて1千数百kmを、単純に自らの2本の足で歩き通したのだ。その間、フランス各地に変革の種をまき、マスコミを動かしてその行動が欧州各地に伝えられた。中国紅軍の長征には及ばないかもしれないが、これは「21世紀の長征」として歴史に刻まれるべきであろう。
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1008-Bruselas.jpg
【キャプション:それはマドリッドとバルセロナから1千数百kmを歩きとおした歴史的な「長征」だった。
        終点ブリュッセルのエリザベス公園で各国の同士と集う。(エル・ムンド紙)】

 彼らはブリュッセルのエリザベス公園で、地元のベルギーはもとよりオランダやドイツからやって来た大勢の人々と落ち合うことができた。しかしここでもまたベルギー警察の襲撃が待ち構えていた。夕闇に包まれた7時過ぎ、ブリュッセルのエリザベス広場で27人のスペイン人を含むベルギー人、フランス人、イタリア人など48名が逮捕され、そこでの泊り込みは不可能となった。その多くが次の日に釈放されたのだが、「長征戦士」たちはベルギーの支援者たちと共にブリュッセルで過ごし、その週の土曜日、10月15日の世界的な抗議活動、「都市占拠」の運動に備えることとなった。

 10月15日という日付は、もちろん15M(5月15日)に始まったプエルタ・デル・ソル広場アカンパダ(泊り込み)にちなんだものだ。インターネットを通して欧米各国の間で飛び交う無数の対話と意見交換の中で、この「15日」という日付が次第にシンボリックな意味を帯びていき、いつの間にか「15日の週末に世界で一斉に『チェンジ』を求めて立ち上がろう」という話にまとまっていったという。それは、日本や韓国、フィリピン、香港、インドネシアなどのアジア各国を含む80を超える国々の都市でデモや集会が繰り広げられた。次のスペインの無料配布新聞
20minutosのギャラリーから、各国で作られたこの日のためのポスターをご覧いただきたい。  http://www.20minutos.es/galeria/7908


 ここには17種類のポスターの写真が収められているが、ポスターの右側にカーソルを持っていくと「>」マークが出るので、次々とクリックしていってもらいたい。あるいはポスター写真の下側に番号が書かれているのでそれをクリックすれば全てを見ることができる。7番目に東京のポスターが現れる。
画像アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-poster.jpg
【キャプション:10月15日のポスターの一つ(20minutos紙ギャラリーより)】

 10月15日当日のもようは、ここではスペイン国内の写真だけをご紹介するが、次のエル・ムンド紙で世界中で行われた運動の写真を見ることができる。
  http://www.elmundo.es/elmundo/2011/10/15/espana/1318669970.html


 この記事の最初にある写真の下に一列に並ぶ正方形のマークを次々とクリックしていくか、「< >」をクリックして写真を進めていけば、全ての写真を見ることができる。スペイン語が分からなくても、場所の名前くらいは見当が付くだろう。東京、ソウル、香港、フィリピンでの集会の写真もある。


 ここに見られる写真を含めて、10月15日に行われたスペイン各都市でのデモの様子をお目にかけたい。
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-madrid-01.jpg
【キャプション:マドリッドのアルカラー通からプエルタ・デル・ソルに向かう巨大なデモ(エル・ムンド紙)】

写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-madrid-02.jpg
【キャプション:10月15日、1万人近い群集に埋め尽くされたプエルタ・デル・ソル広場(同上)】

写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-madrid-03.jpg
【キャプション:15Mの魂が5ヵ月後によみがえるプエルタ・デル・ソル(同上)】


写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-valencia.jpg
【キャプション:10月15日、巨大な人間の川と化したバレンシア市の目抜き通り(エル・ムンド紙)】

写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-sevilla.jpg
【キャプション:アンダルシア州セビーリャ市でも(エル・ムンド紙)】

写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-vigo.jpg
【キャプション:これはガリシア州ビゴ市の大通り(エル・ムンド紙)】

写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-palma.jpg
【キャプション:そして夕闇迫るマジョルカ島パルマ市(エル・ムンド紙)】

 バルセロナでの参加者は、主催者(Democracia Real, Ya!)発表で35万人、警察発表で6万人となっているが、12万人前後というところが最も近い数字だろう。第6話でご紹介した6月19日のデモよりもひと回り大規模で、予算削減と人員整理が進む大学・教育関係、医療関係の労働者・専門家・学生、そして子どもを抱える若い夫婦や、健康に不安を感じる老人たちと中年夫婦の大幅な参加増が目立っていた。
写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-barcelona-01.jpg
【キャプション:カタルーニャ広場を出発してグラシア通りを進むバルセロナの大デモ隊
        「公共医療システムを!人々は生きているのだ!」(エル・ムンド紙)】


写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-barcelona-02.jpg
【キャプション:思い思いの工夫で作ったプラカード。「もし人が世界を変えることに賛同しないなら、世界が人を
変えてしまう(左)」、「もし新聞が我々を載せないなら、歴史の本が我々を載せるだろう(右)」(同上)】

写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-barcelona-03.jpg
【キャプション:夕闇迫るアラゴー通をいっぱいに埋めるデモと、それを眺める老人たち(エル・ペリオディコ紙)】

写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-barcelona-05.jpg
【キャプション:バルセロナ証券取引所には紙つぶての山とステッカーのプレゼント(Nara
 Ikumi撮影)】

写真アドレス http://doujibar.ganriki.net/webspain/1015-barcelona-06.jpg
【キャプション:終点の凱旋門広場付近を歩く子どもづれの母親たち。教育コストの大幅カットには誰でも
        怒りの声を挙げざるを得ない。子供にとっても他人事ではないのだ。(Nara Ikumi撮影)】

 サンバと器楽バンドのリズムに乗って、子供連れ、犬を連れた散歩スタイル、杖をつく老人たち、小学生や中学生の集団までがぞろぞろと歩く、一見すると行楽と見間違えそうなデモ行進で市民の「まつり」といった様相を帯びる。それは5月15日の「まつりごと」で始まり、ひとつの「まつり」として盛り上がった。そしてそれがどんな拍子に再び「まつりごと」になるか、全く予測がつかない。人々にとって政治(まつりごと)は常に日常生活に隣りあっている。日本のように政治の話が「生臭い」として日常生活から敬遠される社会の方が、むしろ異常なのだ。


 この10月15日が終わった直後、バルセロナの一角で一部の「インディグナドス」が、入居者が無いままで何年もほったらかしになっているアパートを占拠し、そこに銀行ローンが払えず家を追い出された老夫婦を招きいれた。このアパートは、家主が老朽化した建物を修理したり建て直したりする手間とカネをケチって単純に放っておいただけなのだが、近所の人たちにとっても不安と苦情の種だった。この突然の占拠が逆に近所の人たちの支援を受けたことは特筆すべきだろう。もちろんそれは違法行為であり、家主は告訴し裁判所はすぐに警告を出したが、いまだに追い出しの強制執行は行われていない。マドリッドでも同様に、老朽化して使用されなくなりそのまま放置されているホテルの建物が占拠され、行き場の無い人々を住まわせる運動が起こった。


 そしてこれらのことが全てのTVニュースと新聞報道で全国の人々に伝えられた。どのマスコミも特別に非難めいた調子で報道してはいない。「法律違反であるかないか」よりも、「使われておらず持ち主に使う気も修理する気も無いままで放置されている建物なら、住む場所を失った人がそこに住む方が筋が通っている」というのが大方の世論である。バブル景気のとんでもない銀行ローンを背負わされた状態で失業し、挙句に家を追い出されようとしている人が何千人もいる。その方がよほど筋が通らない。スペイン人はそう考える。そして15M以降、人々はもう黙っていない。

 15M(キンセ・デ・エメ)がスペイン国内と欧州各地に種をまき、世界に広まった変革への願望と意思が、すぐに花開くことは無いだろう。現在社会の泥棒システムを動かす力はあまりにも巨大であまりにも暴力的である。さらに、人々の視野を狂わし思考を捻じ曲げる大規模情報媒体(マスコミ、マスメディア)の問題はもっと大きい。大部分の人々の意識に根本的な変化が訪れるのは、もしそのようなことがあるとしても、何十年か何百年か先のことかもしれない。それは、世界の公正と平和と正義を目指す遠い行脚、人類の「長征」なのだろう。その一つの出発点として《2011年5月15日》という日付と《プエルタ・デル・ソル》の名は永久に歴史に刻まれるべきである。ブリュッセル「長征」に向かう横断幕に次のように書かれてあった。
 『ゆっくり行こう。道は遠いのだから。』

(2011年11月17日 バルセロナにて 童子丸開)

Cape Town Session: Russell Tribunal on Palestine

Cape Town Session: Russell Tribunal on Palestine



パレスチナにかんするラッセル法廷:ケープタウン・セッション



2011年11月7日



●出典(Al HaqおよびPalestine Chronicle)

http://www.alhaq.org/

http://palestinechronicle.com/view_article_details.php?id=17240



●デズモンド・ツツ大司教の開会挨拶ビデオ:ラッセル法廷:ケープタウン・セッション


http://www.russelltribunalonpalestine.com/en/1399/south-africa-session-preparations





パレスチナにかんすルラッセル法廷(RT0P)は、世論を教育し政策決定者に対し圧力をかけるため、市民社会(NGO、慈善団体、労働組合、信仰に基づく諸組織)の要求に応えて創設された国際市民に基礎をおく良心の法廷である。占領地パレスチナにおけるイスラエルの(分離)壁建設にかんする国際司法裁判所(ICJ)の2004年7月9日の勧告の履行の失敗、2004年7月20日国連総会によって採用されたICJの見解を承認する決議ES-10/15の実行の失敗、および2008年12月から2009年1月のガザの出来事などにかんがみて、パレスチナ民衆の権利を援助する市民のイニシアティブを支え、また促進するために様々な国に委員会が創設された。



パレスチナにかんするルラッセル法廷(RT0P)は、卓越した学者であり哲学者のバートランド・ラッセルによって創設された「ベトナム国際民衆法廷」(1966~1967)、および「レリョ・バッソ民衆の自由と人権のための国際基金」に組織されたラテン・アメリカにかんする第二次ラッセル法廷(1974~1976)によって継承された同様の厳格な規則を採用し、また同じ精神に満ちている。この法廷に法的地位はない。人民裁判所として運営される。



イスラエル政府は、法廷に先立ちその申し立てを提示するよう招待されていたが、この権利を行使することを選択せずに当法廷の対応に無回答であった。



下記の陪審員の聴聞と審議によれば、2011年11月5日~6日のケープタウンにおけるパレスチナにかんするラッセル法廷の第三セッションの評決は、以下のように要約される。



Ⅰ、アパルトヘイト

法廷は、イスラエルは国際法のもとで明確されたアパルトヘイト(人種隔離政策)に等しい支配体制を制度化しパレスチナ人民を服従させている、と評決した。この差別的な体制は、それらの場所によって異なる区分のパレスチナ人に応じて変化する強度および形式ごとに現れている。占領地パレスチナでは、植民地軍政下で生きているパレスチナ人はとりわけ悪質なアパルトヘイト(人種差別)形態の支配に従属している。



イスラエルのパレスチナ人市民は選挙権をもっているものの、イスラエルの法律によって定義されたようなユダヤ民族の一員ではない。したがって、ユダヤ的国民の特典から締め出されており、全員一律に認められた人権の領域が系統的な差別のもとにおかれている。こうした違いに関係なく、イスラエルの支配は、パレスチナ人民が居住しているどこでも、結局、集団的には単一の統一されたアパルトヘイト体制に等しい、と法廷は結論を下した。



イスラエル国家は、国際法に含まれているアパルトヘイトの禁止を法的に遵守しなければならない。これは、人道に対する罪と見做されていることに加えアパルトヘイトの常習行為は普遍的に禁止されている。法廷では、アパルトヘイトの法的な定義に照らしあわせ、その司法制度のもとにおいてイスラエルはパレスチナの民衆を支配していると見做した。



アパルトヘイトは、それ自身独特の特徴を持つ南アフリカにおけるアパルトヘイトの経験にもとづき、国際法で禁止されている。しかしながら、アパルトヘイトの法的な定義は以下の三つの核心的要素が存在する世界中のいたるところで、またどんな状況によっても適用される。①二つの別個の人種グループが識別可能であること。②「非人間的な行為」が下位グループに対して犯されていること。そして、③このような行為が、他方を支配する一方のグループによる制度化された支配体制という文脈で組織的に犯されていること。



人種グループ

「人種グループ」の存在は、アパルトヘイトの問題の基本である。法廷で聴かれた専門家の証言に基づいて、陪審員は国際法が国民の起源や民族(エスニシティ)の要素を含む「人種」という用語に幅広い意味を与えると結論をくだす。したがって、「人種グループ」の定義は生物学的な問題というよりむしろ社会学の問題である。



イスラエル・ユダヤ人のアイデンティティとパレスチナ人のアイデンティティにかんする認知(自らの認知と第三者からの認知を含む)は、イスラエル・ユダヤ人とアラブ・パレスチナ人は、国際法の趣旨からすると別個の人種グループとして容易に定義されうると例証されている。受理した証言から、二つの別個の識別可能なグループが現実的には存在しており、「人種グループ」にかんする法的定義が、イスラエル政府当局がその司法権力でパレスチナ人を支配しているいっさいの状況に当てはまることが陪審員にとっては明白であった。



アパルトヘイトの非人間的な行為

このような体制状況で犯される個々の非人間的な行為は、国際法においてはアパルトヘイト(人種差別政策)の犯罪と定義されている。陪審員は、イスラエル政府当局によってパレスチナ民衆に対して犯されてきた「非人間的な行為」に相当する常習行為について多岐にわたる証言を聴いた。これらには次のものが含まれている。:



―「殺害を目的とする」正規の政策という形態をとった軍事作戦および襲撃を通じ広範囲におよぶパレスチナ人の生活の剥奪、ならびにデモンストレーションに対する致死力の行使。



―保護責任なしの行政拘留および恣意的な逮捕などの政策を通じた広範囲におよぶ自由の剥奪という状況下におけるパレスチナ人に対する拷問と残酷な扱い。このような政策は、治安上の事項として適当に正当化される範囲をしばしば越えており、グループとしてのパレスチナ人に対する支配形態と同然であると陪審員は評決を下している。



―パレスチナ人の開発を排除し、パレスチナ人グループを政治的、経済的、社会的かつ文化的な生活への参与を妨げる組織的な人権侵害。追放されたパレスチナ難民も、所有権および市民権の剥奪を定義する法律と同様、現在論議中の彼らの故郷に帰還する権利の否認という点に関しても、アパルトヘイト(人種差別政策)の犠牲者。とくに占領地パレスチナにおいては強制的な人口移動の政策は、依然広範囲に遂行されている。



―移動、居住、表現および結社の自由の諸権利を含むパレスチナ人の市民権および政治的な権利が厳しく抑圧されている。パレスチナ人の社会・経済的権利もまた、教育、健康、居住の領域におけるイスラエルの差別的な政策によって悪影響を及ぼされている。



1948年以来、イスラエル政府はパレスチナ人の土地の横領および植民地化といった計画的な政策を遂行してきた。イスラエルは、多くの法と常習行為を通じてイスラエル・ユダヤ人とパレスチナ人住民を分割し、また資源へのアクセス権および公共設備、経済基盤といったさまざまな質と水準を利用して両者に異なった現実空間を割り当ててきた。最終的に、二つのグループを大規模に隔離することによって、大規模な領地の断片化、そして保留地および飛び地の分離が行なわれた。法廷では、このような政策が「分離」という意味のヘブライ語hafradaとして、イスラエルでは公式な表現で使われているという趣旨の証言を聴いた。



系統的に制度化された体制

上記に上げられた非人間的な行為は、分離された実例あるいはランダムに見出されるものではない。それらは、系統的と呼べるほど補完的で統合されておりかつ十分広い範囲に及んでいる。またこれらは制度化されていると呼べるほど、公的制度および公共政策、法律という観点において十分な影響をもたらしている。



イスラエルの法体系においては、市民権およびユダヤ人国籍にかんする法を通じて非ユダヤ人よりも優先してユダヤ人に対して特権的地位が与えられ、後者は、居住権、土地所有権、都市計画、公共設備へのアクセス、および社会的、経済的、文化的権利を含む市民生活の大部分の領域において特権的グループをつくり上げた。(提出された法案および関連立法のリストを追加に加えたので参照。)法廷においては、イスラエル・ユダヤ人に排他的な数多くの実質的な特典を授与し慣習化している、ほぼ国家と同様の地位を維持するユダヤ民族諸機関(ユダヤ機関、世界シオニスト機構、およびユダヤ国民基金)とイスラエル国家との関係を詳しく述べた専門的な証言を聴いた。



西岸に関しては、法廷では、完全に二つに分離した法体系の存在に現われる差別および制度化された分離について強調している。パレスチナ人は国際的に公正な裁判基準からかなり逸脱した軍事法廷によって施行された軍令に従い、不法入植地に居住しているイスラエル・ユダヤ人は、イスラエル市民法および国民裁判制度に従っている。



結果として、同じ司法管轄の中で犯された同じ犯罪であっても異なったグループのメンバーによっては、はるかに異なった手順と判決が待っている。行政支配の機構は流布している認可システムのあちこちを引き回し、官僚的な規則はイスラエル支配の領域のいたるところでパレスチナ人に不利に作用している。明示的で直ちに利用可能な南アフリカのアパルトヘイト立法とは対照的に、イスラエルの制度化された統治体制を補強している軍令と規則という多くの法の曖昧さと手続きの困難さに対して、法廷の注意は向けられている。



Ⅱ、人道の罪としての迫害

法廷で聴聞されたアパルトヘイト(人種差別政策)の問題に関連する証言の多くは、迫害という人道に反する別個の犯罪としても重要な意味を持っており、累積責任という原理の下で、イスラエルの常習行為と関連づけられるだろう。迫害とは、一般市民に対する広範囲で系統的な攻撃という背景の下で、ある身元を確認できるグループの要員=アイデンティティ・グループのメンバーの基本的な権利に対する意図的で厳格な剥奪を意味する。法廷では、以下に記述する行為に関連して、提示された証拠が迫害の有無を裏付けるものだと結論づけた。



―、一般市民への集団懲罰の一形態であるガザ地区の包囲および封鎖:

―住民の家屋破壊は軍事的必要性で正当化されない:

―東エルサレムを含む西岸における分離壁と結合した管理体制がもたらす一般住民への敵意に満ちた悪影響:

―イスラエル南部ネゲブ地域の未承認のベドゥイン人村落の破壊および強制撤収にかんする一連の軍事行動:



Ⅲ、法的帰結

アパルトヘイト(人種差別政策)および迫害は、イスラエルに起因する行為であり、その国際的な法的責任を課す必要がある。イスラエルはその人種差別行動およびその迫害政策を終止し、適切な補償と繰り返さないという保証を提示しなければならない。



加えて、イスラエルは物質的であれ道徳的であれ、いかなる損害に対しても、国際的に不法な行動に起因した権利侵害に対する完全賠償を行なわなければならない。賠償に関して言えば、それが立証できる限り、生命、財産、利益の損失といった財政的に算定可能なあらゆる賠償金を以て、イスラエルは自身が引き起こした損害に対してパレスチナ人たちに賠償しなければならない。



諸国家および国際諸組織はまた、国際的な責務を有している。イスラエルの行動形態によって生じる不法な状況を認めることなくかつイスラエルにたいする助力や援助を与えず、イスラエルの人種差別行動および迫害政策を終局にもちこむために協力する義務を担う。これらの国家と組織は、人種差別および迫害の罪を含む国際的犯罪の訴追をとおしイスラエルの国際刑事法違反を終焉させなければならない。



Ⅳ、勧告

上記に見出されたことから考え、パレスチナにかんするラッセル法廷においては、関係者すべてにそれら法的義務どおりの行動を実施することを断固として勧告する。

それゆえ法廷は次のことを勧告する:

―イスラエル国家は、パレスチナ人に対する迫害行為をただちに終止すること、常習行為およびすべての差別法を撤廃すること、およびパレスチナ人民を支配するその人種差別(アパルトヘイト)体制をただちに廃止すること:



―迫害および人種差別政策(アパルトヘイト)というイスラエルによる行動形態を生じさせる不法な状況を終焉させるため、すべての諸国家が協力すること。助力ないしは援助を与えない義務に照らしあわせて、すべての国家は国際諸組織をとおして共同で、あるいは一致されない場合には個々で、イスラエルとの互恵的な関係を破棄し、外交関係における厳しい制裁を課すことを含め、イスラエルに十分な圧力をかけるための適切な対策を検討しなければならない。:



―迫害および人種差別政策(アパルトヘイト)の犯罪を含む、2002年7月1日以来パレスチナの領域において犯された国際的な犯罪のなかで「ゴールドストーン報告書」を通じて「できるだけ迅速に」調査に着手することを求められたように、また2009年1月にパレスチナ政府当局からの要請を受けたように、国際刑事裁判所(ICC)の検察官が司法権を引き受けること。:



―パレスチナは、国際刑事裁判所のローマ規定を受諾すること。:



この法廷が見出した限りでは国民議会の形成を含むが、グローバルな市民社会(そこに存在している人種支配の体制に反対するため、イスラエルおよび占領地パレスチナの領域内で勤勉に働く個々人およびすべてのグループを含む)が、南アフリカのアパルトヘイト終焉に貢献した連帯の精神を再現すること。:



―国連総会は、国連のアパルトヘイトに対する特別委員会を再編成すること。さらにパレスチナ人民に対するアパルトヘイト(人種差別政策)の問題を検討するための特別会議を招集すること。特別委員会は、関連する適切な対策を講ずるためにイスラエルのアパルトヘイト体制を支援している個人、組織、銀行、企業、組合、慈善団体、および他のあらゆる私的・公的な団体のリストを編集すべきである。:



―国連総会は、イスラエルによる長期的な占領と人種差別政策(アパルトヘイト)の本質を審査・吟味するために、南アフリカの「人間科学研究評議会」と同様、初期のパレスチナ占領地区人権「国連特別調査委員会」、現国際司法裁判所(ICJ)に対し勧告を要求すること。



―国連人種差別撤廃委員会は、来たるべき2012年2月に、イスラエルにかんする調査においてアパルトヘイト(人種差別政策)の問題点に焦点を当てること。



―南アフリカ政府は、パレスチナにかんするラッセル法廷の第三セッションのために、主催国として法廷の前で証言した参考人に対しイスラエル国家によるいかなる報復も行われないということを保証すること。:



法廷は、パレスチナをメンバーとして認めた国連教育科学文化機関(UNESCO)の決定を歓迎する。その機関に対し米国のとった懲罰的な行動を非難する。そして自決のためにパレスチナ人民の権利を積極的に援助することをすべての国家と国際的な諸組織に勧告する。法廷はパレスチナ人の人権を断固として援助してきたこれらの国々の連帯と援助を歓迎する。そして公正と正義のために苦闘し続けることを彼らに勧告する。







付録:関連するイスラエルの立法および提案された法律



(付録省略。イスラエル・アパルトヘイトの根拠となる立法および法案が列挙されていますので、専門的な関心のある方は上記サイトで原文から確認してください。)



(以上、松元保昭訳。不適切な翻訳があれば教えてくだされば幸いです。)

2011年11月14日月曜日

泊原発3号機運転再開差し止めを求める裁判

私も原告の一人です。裁判の傍聴と報告会にぜひともご参加ください!(画像はクリックして拡大でご覧ください)

東日本大震災問題シンポジウム

詳細は画像をクリックしてごらんください!